中村俊輔が振り返る自身の転機――ドイツW杯で突き付けられた力不足、そしてセルティックとの幸福な関係

2017年08月22日 飯尾篤史

「英雄の帰還」

中村俊輔/1978年6月24日生まれ、神奈川県出身。日本サッカー界に、その名を轟かせてきたレフティ。戦術眼の高さや左足から放たれるFKの精度は、39歳を迎えた今なお錆びつかない。(C)SOCCER DIGEST

 4シーズンに渡ってプレーしたスタジアムで、かつて所属したチームの選手たちが躍動している。
 
 セルティック・パークのスタンドからピッチを眺めながら、中村俊輔は不思議な気持ちを味わっていた。
 
「ああ、ここで毎試合、プレーしていたんだな、って思ったけれど、引退したわけじゃないから、懐かしいとかじゃなくて、なんだろう……変な感じ」
 
 2014年12月、俊輔は5年ぶりにグラスゴーを訪れた。現地で「英雄の帰還」と報じられた訪問は、他でもない彼自身が望んだものだった。
 
「オフを利用してヨーロッパに行こうと思って。バルサや長友(佑都)のいるインテルに行ってもよかったんだけど、違う刺激が欲しいな、と思った時に浮かんだのがセルティック。あそこは自分にとって聖地だし、移籍する時、お礼を言えなかった人がたくさんいたからね」
 
 俊輔の申し出を、セルティックは大歓迎した。そればかりか、ハーフタイムにセレモニーを行ない、ピッチ上でサポーターに挨拶する場を設けてくれたのだ。
 
「レジェンド」として迎え入れ、背番号25のユニホームを用意して――。
 
 俊輔の訪問がクラブによって発表された時、サポーターフォーラムは喜びの声で溢れかえった。なかでも多かったのが、伝説のFKについて語るものだった。
 
 ホームで〝赤い悪魔〞を沈めた会心の一撃――。06-07シーズンのあの夜、俊輔は130年もの歴史を誇るクラブの〝生けるレジェンド〞になったのだ。

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 このままでは終われない――。
 
 06-07シーズンの開幕を、俊輔は覚悟をもって迎えていた。
 
 そう強く思わせたのは、ドイツ・ワールドカップでの惨敗だ。
 
 オーストラリアに逆転負けを喫すると、ブラジルに完膚なきまでに叩きのめされた。俊輔自身も体調不良に見舞われ、ジーコの期待に応えられなかった。
 
 突きつけられたのは、力不足の三文字。だが、幸いにも新シーズン、自身を磨き直す最高の舞台が待っていた。欧州チャンピオンズ・リーグ(CL)への初参戦である。

次ページ俊輔は「夢の劇場」で自身初のCLを迎える。

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