【黄金世代】第3回・小笠原満男「栄光の16冠、究極のアントラーズ愛」(♯4)

2017年07月04日 川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)

いまでもずっと忘れられないワンプレーがある。

鹿島アントラーズの栄華とともに歩んできたプロキャリア。積み上げたタイトルは、驚異の16個だ。(C)J.LEAGUE PHOTOS

 1998年春、小笠原満男はJリーグ屈指の名門、鹿島アントラーズの門を叩いた。
 
 きっとすぐには通じない、そう覚悟していた。だが、居並ぶタレントもトレーニングの質も、想像をはるかに超えるレベルだった。
 
「試合に出れるようになるまで、3年がひと一区切りだとは思ってたけど、簡単じゃなかった。中盤にはビスマルクがいて、ほかにも同じポジションには増田(忠俊)さんがいて、もう誰も彼もが日本代表かオリンピック代表だもん。この面子の中で出れないのはしょうがない。でも、ここでポジションを獲れれば、それはイコール代表なんだとも思った。
 
 紅白戦なんて、いつも日本代表とやれてたわけで、楽しくないわけがない。本田(泰人)さんに何回も止められて、秋田(豊)さんに吹っ飛ばされてさ。なんで出れないんだって気持ちより、成長したいって充実感のほうが上回ってた。日本一の選手が集まってくるチームで、日々の練習から得られる確かなものがあった」


【PHOTO】小笠原満男の華麗なるキャリアを厳選フォトで
 
 少しずつ出場機会を掴み、3年目の2000年シーズンにはついにレギュラーの座を射止めた。21歳にして、Jリーグ、ナビスコカップ、天皇杯の3冠を初めて達成するチームを力強く牽引したのだ。
 
「まだまだ上のひとたちに引っ張ってもらってる、伸び伸びやらせてもらってる時期だったけど、最終的に3つ獲れたからね。すごい充実感と達成感があった」
 
 今季で在籍20年目。積み重ねたタイトルの数は16にのぼる。当然ながら、(盟友・曽ケ端準とともに)Jリーグの個人最多タイトル保持者だ。「16個? そうなの? もう何個とか数えてなかったからなぁ」と微笑を浮かべる。
 
 例えば、思い入れの強いタイトルなどはあるのだろうか。
 
「劇的だったのは、メッシーナから夏に帰ってきたシーズン(2007年)じゃないかな。もう無理だろうってところから9連勝かなんかして、最終節でレッズを逆転したという。あれはなんかこう、劇的がゆえに印象がある。本音を言えば、突っ走って勝つのが理想なんだけど、いちばん嬉しかったのはあれかな。鹿島としても久しぶりの優勝だったしね(6年ぶり)」
 
 では、最強チームを選ぶとすれば、いつの時代か。
 
「そりゃもう、チームとして強かったのは、ジュビロと二強だった頃じゃないかな。まさに俺が入ってすぐの頃の。あれが最強でしょ。めっちゃ強かったもん。まだスタンドから観ることが多かったけど、1点取られようがなにしようが、絶対に負ける気がしなかった。ジョルジーニョ、ビスマルク、マジーニョがいてさ」
 
 ベストゴールやベストゲームといったありきたりな質問を切り出すと、小笠原は「どれがベストとかってなかなか決めれない。そういうのじゃないけど、いまでもずっと忘れられないワンプレーっていうのはある」と、記憶の扉を開いてくれた。
 

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