【黄金世代】第3回・小笠原満男「衝撃のオノシンジ」(#2)

2017年06月22日 川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)

一瞬にして、いろんなものが打ち砕かれた。

黄金世代との邂逅を振り返った小笠原。笑みを浮かべながら、「俺なんかもうぜんぜん」と呟いた。写真:佐野美樹

 岩手のみならず東北でも名の知れた存在だった小笠原満男は、中3で初めて世代別の日本代表に招集される。1994年、U-16日本代表だ。
 
 そこで、とある選手のリフティングを目の当たりにし、頭のてっぺんに雷を落とされたような衝撃を受けた。
 
「うわ、なんだこれ、すげえ巧いなって。もう次元が違うから。なんて言うか、俺も岩手や東北じゃそこそこできてたほうで、それなりに自信を持ってやってたけど、あのリフティングを見ただけで一瞬にしていろんなものが打ち砕かれた。
 
 単純にインステップでやってるだけなんだけど、ボールがぜんぜんブレない。それだけでも巧さが伝わってくるよね。ほかにもインサイドキックの止めて蹴るってのもさ、それを見るだけでも次元が違うの。衝撃を受けた」

 
 誰あろう、小野伸二だった。
 
 その4年後、ナイジェリアのワールドユースで世界をあっと驚かせる黄金世代。まさに彼らの一番初期にあたるのがこの頃で、まだ、小野のほか稲本潤一や高原直泰、酒井友之などほんの限られたメンバーしか選ばれていない。そのなかに、小笠原は名を連ねていたのである。

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「当時のことで考えたらとんでもない話で、もう端っこも端っこ。結果的に世界(1995年のU-17世界選手権)には行けなかったし、所詮はそういう位置づけでしかなかった。いまでもあのメンバーを集めて選考したら残れないって思う(笑)。
 
 それまで岩手の田舎で育ってきたから、ずっと指導者の方に『井の中の蛙になるな』って言われてきてた。まあ言葉として耳には入るんだけど、小中学生の時はどういう意味かまでは分からなかった。岩手の中じゃ、なにをやっても勝てちゃうし。でも彼らに初めて会ってさ、思い知ったよ。ああ、こういうことなんだって。身をもって体験した」
 

 たしかにその時点では、小さくない差があったのかもしれない。だが2年後、高2の秋に静岡のつま恋で開催されたU-17ナショナルトレセンでは、小笠原の技巧は際立っていた。この頃からわたしにとって小野、小笠原、そして本山雅志は、黄金世代の三大ファンタジスタなのである。
 
 とはいえ、小笠原自身が直面していた現実は、もっとシビアだったようだ。
 
「一緒にやれるのは嬉しかったけど、本当に巧いひとばっかりだし、場違いな感じは最初からずっとあった。ここに俺はいてもいいのかって。でも同時に、負けたくないって気持ちはあったし、なんとかこの環境でやり続けたいって想いもあった。いっつも刺激を受けてたよね。岩手に帰ってからも意識してたし、あのひとたちより巧くなるためには練習するしかないと思って、必死に打ち込んでたから。大きな刺激をもらってた」

次ページいまでも俺の前をずっと走ってる選手。

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