【黄金世代・復刻版】「遠藤家の人びと」~名手ヤットのルーツを辿る(中編)

2017年05月18日 川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)

驚愕の小学生は「ダンゴに加わらず」。

桜島中運動会での一枚。小学生時代の短距離走では、独特のスタートで周囲を驚かせた。写真提供:遠藤武義

 古豪・鹿児島商高サッカー部の出身で、卒業と同時に桜島に戻り、桜州少年団の監督となった藤崎信也は、三兄弟の成長の過程をつぶさに見てきた熱血漢だ。そのなかでも保仁には、とても小学生とは思えない非凡な才があったと回顧する。

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「僕は技術のある選手には、いつもトップ下をやらせていたんです。もちろん遠藤兄弟は3人ともそのポジションでしたが、面白いくらいにスタイルが違っていた。拓哉はスピードと意外性があって、それこそFWに近い動きをする。アキ(彰弘)は身体を当てながらもキープしてゲームを作るリンクマンですね。そしてヤット。アイツはどうやっても下がってくるんですよ(笑)。じっとゲームを観察してパスを出すタイプですね。今と似ていますが、当時ああいうプレーをする小学生はそうそういませんでしたよ」
 
 運動会の短距離走でのこと。スタートを告げる号砲を待つ子どもはたいてい、前方を見据えて構えている。ところが保仁はひとりだけじっとピストルを凝視し、スターターの指の動きを見定めていた。
 
 少年団に入りたての頃にも大人びた一面を見せている。

 サッカーのイロハを習う前の子どもたちだけに、ゲームをやってもダンゴ状態になるのが常だ。そこから少しずつ視野を広げ、ドリブルやパス、チームプレーへと意識を変化させていく。
 
 なんと保仁少年は、そんな時でもダンゴの外でじっとボールが出てくるポイントを探っていたのだそうだ。こぼれればすぐさま反応してマイボールにし、自分の思うがままにピッチを支配していた。イメージを蓄えるクセが付いていたのだろう。

次ページ「ふたりの兄の試合をよく見てたから、あれだけの戦術眼を」。

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