【蹴球日本を考える】ボールボーイ騒動に思うネット社会の怖さと千葉攻略法

2017年05月01日 熊崎敬

サッカーはケンカ祭りのようなもの――セルジオ越後

SNSではBB騒動ばかりがクローズアップされた千葉-徳島戦。現場で試合を見た人以外に、清武の華麗なドリブル突破&絶妙スルーパスから青森山田高卒のルーキー高橋がプロ2得点目を決めたことを知る人はどれだけいるだろうか。(C) J.LEAGUE PHOTOS

 千葉と徳島の一戦で発生した「ボールボーイ騒動」。私も現場で観戦していたが、この騒動でふと思い出した言葉がある。
 
「サッカーはケンカ祭りのようなものなんですよ」
 
 発言の主は、お馴染みのセルジオ越後さんだ。
 
 サッカーはケンカ祭り。その意味するところは、スタジアムは世知辛い浮世を忘れて本能を解き放つ場所、多少のいさかいはつきものだということだ。
 
 騒動の主役となったふたり、ボールボーイと徳島の馬渡はどちらも悪人ではない。
 
 仮にボールボーイが故意にボールを返すのを遅らせる意図があったとしても、これは決して悪いことではない。19冠王者、鹿島のボールボーイはとても訓練されている。それとなく上手くホームチームに配慮している。
 
 一方、チャンスを迎えた徳島の馬渡が、「早くしろ」と腹を立てる気持ちも理解できる。小突いたのは余計だったが、これについては退場という処分がなされた。十分だ。
 
 サッカーはケンカ祭り。この騒動は勝ちたい一心で少し行き過ぎてしまっただけのことだ。大騒ぎすることはないだろう。
 
 この騒動で改めて思うのは、ネット社会の怖さである。SNSの普及で、だれもがニュースを発信し、評論する時代になった。悪くいえば、1億総監視社会だ。こうした社会では些細な出来事が瞬く間に増幅されて、炎上する。
 
 こうした社会では、人々は委縮する。
 
 サッカー選手も例外ではない。リスクを負うことを無意識のうちにためらうようになるだろう。そうなったら、サッカーはつまらなくなる。
 
 育成も同様。スクールでは大人が「ミスを恐れるな」とこどもを指導しているが、「世間をお騒がせしました」と頭を下げる大人たちを見て、こどもはリスクを冒そうと思うだろうか。

次ページ騒動の発端は最終ラインを極端に押し上げる千葉のスタイルから。

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