【黄金世代・復刻版】1999 U-20日本代表メモリアル「最強の名のもとに」前編

2017年04月26日 川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)

原石たちが一堂に介した「96U-17ナショナルトレセン」。

U-18日本代表の選考も兼ねた、96年のU-17ナショナルトレセン。初々しさが残る小笠原も猛アピールを続けた。(C)SOCCER DIGEST

【週刊サッカーダイジェスト 1999年5月19日号にて掲載。以下、加筆・修正】

 最近では、始動間もないユース代表には"史上最強"という呼称がつきまとう。

 それは日本サッカーが着実に成長しているという証であり、トレセン制度などの整備により育成システムが確立されてきたことを象徴している。
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 このU-20日本代表も例に漏れず、タレント軍団としてつねに注目を浴びてきた。だがワールドユースという最後の大一番、クライマックスを迎えるまで彼らは"最強"たりえた。

 いかに励まし合い、互いを伸ばし、葛藤を繰り返してきたのか。96年のナショナルトレセンで骨格をなし、翌春に産声を上げ、灼熱のナイジェリアで大きく羽ばたいたU-20日本代表。その3年に渡る日々を、いま振り返る。

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 静岡のつま恋にあるトレーニングセンターには、宿舎とグラウンドをつなぐ巡回バスがある。
 
 いまから3年前の秋、そこではU-17ナショナルトレセンが開催されていた。中3から高2までの原石たちが全国から一堂に会し、技を磨き合いながら寝食をともにする。翌春に始動を控えたU-18日本代表の選考も、兼ねているとのことだった。
 
 バスに乗り込むと、マッシュルームカットの青年がひとり、ポツンと座っていた。胸には"東北トレセン"と英字で刻まれている。
 
――ケガでもしてるの? みんなもう練習してるんでしょ。
 
「ちょっとヒザを壊しているんですけど、大事をとってるだけです。それより取材ですか? ボクらの記事、どこに載るんですか?」
 
――サッカーダイジェストなんだけど、いつも読んだりするの?
 
「もちろんですよ! でも高校サッカーの記事少ないからなぁ。ここに集まっているみんな、本当にスゴイですよ。ボクがユース代表に入れるかどうかは自信ないけど、もっと注目してほしいな」
 
――ううう…。ごめん、キミの名前を聞いてもいいかな?
 
「はい、大船渡の小笠原です」

 小笠原満男の何気ない言葉が、現実味を帯びたのは翌日のことだった。

次ページ唸るほどのプレーの連続に「期待で身震いがしてくる」。

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