ないものねだりをせず、できることとできないことを整理した
現在6位と、残留争いどころか欧州カップ圏内にいるフライブルクだが、このクラブはそれで浮足立つようなことはない。 (C) Getty Images
昇格チームというカテゴリーでは、現在2位につけているRBライプツィヒの陰に隠れてはいるものの、フライブルクもブンデスリーガ第28節終了時点で6位と、周囲の予想を良い意味で裏切って大躍進を遂げている。
経営規模が小さくても、選手層が薄くても、いつでも立ち返ることができる自分たちのサッカースタイルがある。それが、フライブルクが誇る何よりの強みだ。
「地方の強豪クラブ」にしか過ぎなかったフライブルクが、ブンデスリーガに初めて昇格したのは1992-93シーズン。そこから今に至るまで、2部リーグ降格は4度あるが、うち3回はその翌年にすぐ、再昇格を果たしている。
今でこそ年間予算7000万ユーロ(約84億円)という安定した資金力を手にするまでになったが、ほんの10年ほど前までは、トップサラリーの選手年俸が50万ユーロ(約6000万円)という、欧州における典型的な小規模クラブに過ぎなかった。
どうすれば、この厳しい世界で自分たちの立ち位置を確立できるだろうか――。彼らの出した答えは、シンプルだった。
「ないものねだりをしてもしょうがない」
これは、フライブルクのユースアカデミーディレクターを務める、アンドレアス・シュタイエルトの言葉だ。
クラブとして、高らかな夢を掲げたいのは誰もが同じだろう。
「欧州の舞台へ!」「 ドイツ・ナンバーワンのクラブへ!!」
だが、どうすればその目標に辿り着けるかも分からず、ふわふわと雲を掴むような話を口にすることだけが、クラブとしての存在意義の置き場所でもないはずだ。彼らは自分たちの現在地を詳細に分析し、できることとできないことを明確に整理した。
フライブルクのある南西ドイツ地区は、有名な「シュバルツバルト」(黒い森)を中心に広大な森林地帯が占めており、人口密度も少ない地域だ。必然的に、サッカーをする子どもたちの絶対数も多くはない。州都であるシュツットガルトと選手数を比較すると、3倍近い差が生じる。
また、近郊に強力な資金力を持つ企業がほとんどないという問題もあり、大型スポンサーの強力なバックアップを期待することもできない。
人もお金も集まりにくい以上、ブンデスリーガというハイレベルな舞台で生き残っていくためにやれることは限られてくる。それは、選手を「自前で育て、高値で売る」という育成型クラブとしての道を歩むことを決断することだった。
次に必要だったのは、どんな選手を育て上げるのかというコンセプトだ。フライブルクのアカデミーで育った選手だからこそ持つ付加価値がなければ、他クラブが高値を付けて獲得しようと思うわけがない。
クラブの土台を築き上げたフォルカー・フィンケは、かつてヨハン・クライフが語った「ただ勝つためにプレーするのではない。魅力的に勝つためにプレーするんだ」という言葉をモットーに掲げた。
自分たちでボールを保持し、ショートパスを中心としたインテリジェンスのある組織的なサッカーを志向するための育成哲学を確立。これをベースに、今でも各年代・年齢に応じたトレーニングを通して、自分たちのサッカーを浸透させている。
最終ラインから丁寧にパスを繋いでいくサッカーを育成年代から徹底しているチームは、実はそこまで多くはない。だからこそ、ここで育った選手は重宝される。
ドルトムントのドイツ代表DFマティアス・ギンター、レバークーゼンのトルコ代表DFエメル・トプラクは、そんなフライブルクが生んだ代表的な選手だ。
経営規模が小さくても、選手層が薄くても、いつでも立ち返ることができる自分たちのサッカースタイルがある。それが、フライブルクが誇る何よりの強みだ。
「地方の強豪クラブ」にしか過ぎなかったフライブルクが、ブンデスリーガに初めて昇格したのは1992-93シーズン。そこから今に至るまで、2部リーグ降格は4度あるが、うち3回はその翌年にすぐ、再昇格を果たしている。
今でこそ年間予算7000万ユーロ(約84億円)という安定した資金力を手にするまでになったが、ほんの10年ほど前までは、トップサラリーの選手年俸が50万ユーロ(約6000万円)という、欧州における典型的な小規模クラブに過ぎなかった。
どうすれば、この厳しい世界で自分たちの立ち位置を確立できるだろうか――。彼らの出した答えは、シンプルだった。
「ないものねだりをしてもしょうがない」
これは、フライブルクのユースアカデミーディレクターを務める、アンドレアス・シュタイエルトの言葉だ。
クラブとして、高らかな夢を掲げたいのは誰もが同じだろう。
「欧州の舞台へ!」「 ドイツ・ナンバーワンのクラブへ!!」
だが、どうすればその目標に辿り着けるかも分からず、ふわふわと雲を掴むような話を口にすることだけが、クラブとしての存在意義の置き場所でもないはずだ。彼らは自分たちの現在地を詳細に分析し、できることとできないことを明確に整理した。
フライブルクのある南西ドイツ地区は、有名な「シュバルツバルト」(黒い森)を中心に広大な森林地帯が占めており、人口密度も少ない地域だ。必然的に、サッカーをする子どもたちの絶対数も多くはない。州都であるシュツットガルトと選手数を比較すると、3倍近い差が生じる。
また、近郊に強力な資金力を持つ企業がほとんどないという問題もあり、大型スポンサーの強力なバックアップを期待することもできない。
人もお金も集まりにくい以上、ブンデスリーガというハイレベルな舞台で生き残っていくためにやれることは限られてくる。それは、選手を「自前で育て、高値で売る」という育成型クラブとしての道を歩むことを決断することだった。
次に必要だったのは、どんな選手を育て上げるのかというコンセプトだ。フライブルクのアカデミーで育った選手だからこそ持つ付加価値がなければ、他クラブが高値を付けて獲得しようと思うわけがない。
クラブの土台を築き上げたフォルカー・フィンケは、かつてヨハン・クライフが語った「ただ勝つためにプレーするのではない。魅力的に勝つためにプレーするんだ」という言葉をモットーに掲げた。
自分たちでボールを保持し、ショートパスを中心としたインテリジェンスのある組織的なサッカーを志向するための育成哲学を確立。これをベースに、今でも各年代・年齢に応じたトレーニングを通して、自分たちのサッカーを浸透させている。
最終ラインから丁寧にパスを繋いでいくサッカーを育成年代から徹底しているチームは、実はそこまで多くはない。だからこそ、ここで育った選手は重宝される。
ドルトムントのドイツ代表DFマティアス・ギンター、レバークーゼンのトルコ代表DFエメル・トプラクは、そんなフライブルクが生んだ代表的な選手だ。