シュバインシュタイガーだけじゃない…プレミアリーグで失敗したスター10選

2017年03月23日 サッカーダイジェストWeb編集部

「10番をくれないならプレーしない」と豪語したことが仇となったポルトガル代表MF。

高額移籍金を手にしながら、プレミアリーグの水に馴染めずに短年で他リーグへと移籍したスターたちを紹介する。(C) Getty Images

 3月21日、マンチェスター・Uはバスティアン・シュバインシュタイガーをMLSのシカゴ・ファイアーに放出することを公式サイト上で発表した。
 
 2015年夏にバイエルンから移籍した元ドイツ代表MFだったが、在籍した2シーズンでプレミアリーグ出場はわずか18試合。公式戦のゴール数はわずか2と、期待を裏切る結果となった。
 
 そんなシュバインシュタイガーのようにプレミアリーグへ移籍した途端に不振を極め、キャリアを棒に振ったスタープレーヤーたち10人を、英紙『デイリー・メール』が紹介している。
 
――◆―――◆――
 
ジョージ・ウェア(FW)
2000年1月:ミラン→チェルシー
2000年7月:ミラン→マンチェスター・C
 
 ミランでは類いまれな身体能力と高い決定力を誇り、退団したマルコ・ファン・バステンの穴を埋める活躍で『リベリアの怪人』の異名で恐れられた。1995年にはバロンドールを欧州出身者以外では初受賞したことでも知られる。
 
 そんな巨漢FWは、34歳となった2000年の1月にチェルシーへレンタル移籍。デビューとなったトッテナム戦でゴールを決めるなど上々のスタートを切ったが、ジャンルカ・ヴィアッリ監督の下で徐々に出場機会を失い、同年夏にマンチェスター・Cへと移った。
 
 しかし、週3000ポンド(約42万円)という高給に見合った活躍ができず、ここでもウェアは指揮官のジョー・コイルに見放された。
 
 引退後にウェアは、「お金のために来たつもりはなかった。ミランに残ることもできたんだ。誰かが、私にそのことは黙ってろと言ったんだ」と語っている。
 
パウロ・フットレ(FW)
1996年7月:ミラン→ウェストハム
 
 ポルトやA・マドリーなどで活躍し、「欧州のマラドーナ」と称えられたポルトガル人アタッカーも、ウェアと同様にミランからプレミアリーグに渡った。その期待度は当時のウェストハム指揮官だったハリー・レドナップの「私の見てきたなかでトップ10の選手だ」という言葉からも分かる。
 
 しかし、プライドの高さが彼のキャリアの障壁となる。「背番号10をもらうまではプレーしない」という仰天発言を公の場でしてしまったのだ。
 
 これで信頼を失ったフットレはプレミアリーグ出場が9試合に留まり、わずか1シーズンで古巣のA・マドリーへ戻った。それだけにウェストハム・ファンの記憶には悪い印象が残っただけだった……。
 

次ページ274試合266得点という数字を引っ提げてイングランドに上陸したブラジル人ストライカー。

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