【英国人記者コラム】フットボールをやるのは情熱のため? それとも金のため?

2017年01月25日 スティーブ・マッケンジー

かつてのプレーヤーたちはフットボールをする喜びだけを感じていた。

イングランドを代表するストライカーの一人だったベアズリー(左)。彼に代表されるように当時の選手たちはフットボールのみに情熱を注いでいた。 (C) Getty Images

 先日、私は「マンチェスター・Cのトゥーレ・ヤヤが中国の江蘇蘇寧からの5200万ポンド(約73億円)のオファーを蹴った」というニュースを読んで、あることを思い出した。
 
 それは、イギリス人フットボールライターのマーティン・ハーディー氏が、ケビン・キーガンが監督を務めていた頃のニューカッスルについてまとめた、『Touching Distance』を読み終えた後に抱いていた感情だ。
 
 その本には、アレックス・ファーガソン率いるマンチェスター・Uとプレミアリーグ優勝をかけて激闘を繰り広げた1996年の出来事を重点的に記してあるのだが、その中で当時の選手たちに、なぜニューカッスルに移籍してきたのかを問う場面が出てくる。
 
 その問いに応えた一人で、物語の主役ともなるピーター・ベアズリーは、カーライルFCでプロキャリアをスタート始める前に、ニューカッスル近郊のキリングワースという街工場で船のバルブを製造していたという。
 
 16歳当時、午前8時から働きに出ていたというベアズリー青年は、常にボールを足下に置き、仕事の合間にはドリブルをしながら勤務していたほど、フットボールを愛していた。自らの人生を工場勤務だけで終えたくないと考えていた彼は、地元のニューカッスルを離れ、カーライルへと渡り、プロフットボーラーとしてのキャリアをスタートさせたのである。
 
 その後はマンチェスター・Uやリバプール、ニューカッスルでプレーし、イングランド代表でも1990年のイタリア・ワールドカップでベスト4進出。イングランドを代表するストライカーの一人となった。
 
 ベアズリーに代表されるように当時のフットボーラーたちは皆、ただフットボールをすることだけに集中し、生計を立てていることに満足していた。『Touching Distance』に出てくる多くの選手たちは、そうした印象を私に抱かせた。
 
 しかし、今の選手はどうだろう? 多くの選手が「金の亡者」となっていないだろうか?
 
 プロである以上、サラリーが重要なのは言うまでもない。しかし、今の選手たちはあまりに固執し過ぎている。とくに中国へ安易に移籍する選手たちは情熱を忘れているように見える。
 
「フットボールを愛しているからプレーするんじゃないのか? それとも君たちは金のためにプレーするのか?」
 
 すでにマンチェスター・Cのレジェンドと言っていいトゥーレ・ヤヤが、中国からの高額オファーを前に口にした言葉が、今のサッカー選手たち、あるいは未来のサッカー選手たちの心に響いてくれることを私は願ってやまない。

文:スティーブ・マッケンジー
 
スティーブ・マッケンジー (STEVE MACKENZIE)
profile/1968年6月7日にロンドンに生まれる。ウェストハムとサウサンプトンのユースでのプレー経験があり、とりわけウェストハムへの思い入れが強く、ユース時代からサポーターになった。また、スコットランド代表のファンでもある。大学時代はサッカーの奨学生として米国の大学で学び、1989年のNCAA(全米大学体育協会)主催の大会で優勝に輝く。
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