【回想録】日本でのレアル・マドリー激闘史――2002年トヨタカップ

2016年12月13日 サッカーダイジェストWeb編集部

シーズン初のベストメンバーで臨んだ世界注視の銀河系軍団。

2000年のフィーゴを皮切りに、ジダン、ロナウドと、スーパースターを毎年獲得し、過去に類を見ないスター集団を作り上げたマドリー。最も強さを誇っていた時期だった。 (C) Getty Images

 5回目(インターコンチネンタル・カップ時代も含む)の世界制覇を果たすため、欧州王者として決戦の地に降り立ったレアル・マドリー。現在、15日の準決勝クラブ・アメリカ(中南米カリブ代表)戦に向けて、入念な準備を行なっている最中だ。
 
 クラブワールドカップ出場は2年ぶりのマドリーだが、来日は実に11年ぶり。これまで、この魅惑の集団が日本に到来したのは6回で、公式戦、親善試合を合わせて8つの試合を戦い、6勝2敗の通算成績を残している。
 
 ここでは、これまでマドリーが日本で披露した華麗なプレー、到来したスーパースターたちの雄姿、そして勝利の記憶を、当時のサッカーダイジェストの記事で振り返っていく。2回目は、「銀河系軍団」として見る者を魅了した2002年の世界一クラブ決定戦だ。
 
――◇――◇――
 前日の公開練習終了後の会見で、プンピード監督があっさりと明かしたオリンピア(パラグアイ)のスタメンに、とりわけ驚きはなかった。しかし、守備の要であるCBのカセレスを、ボランチで起用するというわずかな策が施されていた。
 
 後方で凌ぐより、高い位置でボールの出どころを押さえる――。レアル・マドリーの攻撃に対するオリンピアのアプローチは、ある意味で正しかった。しかし、マドリーの繰り広げたサッカーは、プンピードの想像をはるかに凌駕する、美しくも恐ろしいものだった。
 
 マドリーは、今シーズン初のベストメンバーでこの試合に臨んだ。
 
 フォーメーションは4-4-2。GKカシージャス、DFラインはセンターに故障明けのイエロとI・エルゲラを置き、左右にR・カルロス、M・サルガドを配置する。
 
 そして魅惑の中盤には、ジダンをトップ下に、その後方でカンビアッソ、マケレレがジダンの影武者と化す。右サイドの高めに位置したフィーゴは、右だけに固執することなく、フリーマンとして左右に自在にポジションチェンジを繰り返す。
 
 中盤の左サイドには大きなスペースができていたが、そこはR・カルロスのための空間。彼の攻め上がりを効果的に促すための、「ロベカルシフト」を敷いた。
 
 そして2トップには、ロナウドとラウール。前線に張り付いて動きの少ないロナウドをサポートするかのごとく、ラウールは献身的なフリーランニングで、オリンピアのDFラインに揺さぶりをかけていった。
 
 先制点は、華麗なるダイレクトプレーから生まれた。
 
 14分、中央でボールを受けたジダンがヒールでR・カルロスへ流すと、それをグラウンダーで中央に通す。中で待っていたのはラウール。しかし、彼は受けることなくボールの軌道の上を通過すると、後方で待ち受けていたロナウドが足先で絶妙なトラップを決め、冷静にゴール右へと流し込んだ。
 
 息つく暇もない流麗な展開に、スタジアムは酔いしれた。出どころを押さえようにも、対応し切れない。オリンピアの中盤は、成す術なくマドリーのボール回しに翻弄され続けた。
 
「カセレスひとりの責任じゃない。我々はできる全てのことをやったが、相手は動じなかった」
 
 カセレスとともにダブルボランチを形成したエンシソは試合後、こう語るのが精一杯だった。
 
【写真】レアル・マドリー IN JAPAN(1998~2005

次ページパスが繋がり過ぎてゴールを狙うことを忘れているかのよう…。

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