【高卒ルーキー誕生秘話】ほぼ無名だった昌平高・松本泰志がJ1広島内定を勝ち取るまでの紆余曲折

2016年10月05日 平野貴也

激変したプレースタイル。ドリブルをするようになったのは高校2年から。

全国的には無名だった昌平高の松本。J1王者広島への来季加入内定をまさに努力で掴み取った。写真:平野貴也

 質問に対して、想像していなかった答えが返って来た。
 
「小学生の頃は、センターバックでした。当時は足が速かったので、カバーリングの広さを褒められていました。中学生のときはボランチにコンバートされて周りをよく見るようになりましたけど、ロングボールで大きな展開をする選手でした」
 
 左からのカットインシュートを得意とする現在のプレースタイルにつながる背景を知りたかった。だから、昌平高入学前の話を聞いたのだが、まるでつながらない回答だった。J1広島への来季入団が内定し、3日に記者会見を行なった昌平高MFの松本泰志は、あらゆるポジションを経験したことで、技術を生かす術を身につけた選手だ。
 
 左右のキックは、距離が伸びても精度が落ちない。身体能力に秀でたタイプではないが、ボールの置き所、体の向き、ポジショニングでボール奪取の隙を与えない。パスの選択肢を持ちながらドリブルができ、フィニッシュの能力も高い。守備面では課題もあるが、攻撃センスの高い選手だ。
 
 松本は昌平高に入部後、1年生チームでひたすら試合に出場し続けた。1日に2試合プレーしたこともある。ポジションは、FWか攻撃的MF。中学時代とは異なり、狭い局面で状況を打開するプレーを求められた。
 
 昌平高の藤島崇之監督は「3年生チームのサブメンバーに入れるより、実戦で磨いた方が良いと思った。最終的にはボランチに落ち着く選手かもしれないけど、プレッシャーが強い前方のエリアでプレーさせて伸ばそうと思った」と理由を話した。
 
 昌平高の練習は、周囲との連係でボールを保持するポゼッション練習が主だ。ピッチの4分の1ほどのエリアで20人ほどが2チームに分かれ、パスを回しながらボールを保持するメニューは、定番。味方と敵が入り乱れるなかで、的確な状況判断、細やかなポジショニング、相手との駆け引き、プレー精度と多様な要素が問われる。
 
 その中で、松本は元々持っていた両足の精度と遠くまで見る展開力を生かしながら、ショートコンビネーションの感覚を磨いていった。オフの日には、寮の近くの芝生の広場に行って、先輩ドリブラーの真似をするようにドリブルを練習した。松本は「技術を学んだのは、本当にここ(昌平高)。ドリブルをするようになったのも、2年生になってから。プレースタイルは、本当にここに来て激変したという感じですね」と自身の変化を振り返って、驚いたような表情を見せた。
 

次ページ1年の選手権でなにもできず監督から「このままでは終わるぞ」と言われ覚醒。

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