「ドロンパが座っていても勝てるチームに」クラブユース日本一を勝ち取ったFC東京U-18が育む自立心

2016年08月05日 川端暁彦

J3へのU-23チーム参戦でU-18のマネジメントにも大きな影響を及ぼす。

ドロンパ“総監督”を中央に、恒例の勝ちどきを上げるFC東京U-18の面々。佐藤監督は、選手たちに「自主性」を求めた。写真:石倉愛子

 40回目の記念大会を迎えた日本クラブユース選手権(U-18)大会。8月4日の味の素フィールド西が丘で行なわれた決勝戦で、"ホーム"のFC東京U-18が清水エスパルスユースを2-0で破り、クラブユース日本一の座に輝いた。前半に2点のリードを奪うと、後半は相手のシュートを1本に抑えての逃げ切り勝ち。8年ぶり3度目の栄冠は、絶対的な「地力」の高さを感じさせるものだった。
 
「理想は自分の代わりにドロンパの人形がベンチに座っていても勝てるチーム」
 
 佐藤一樹監督からこの言葉を聞いたのは、2年前の就任初年度のこと。FC東京U-18の試合では、サポーター有志が持ち込んだ東京ドロンパ(FC東京のマスコット)の人形がピッチを見守るように置かれるのが通例となっており、俗に「総監督」と呼ばれている。
 
 この「総監督」がベンチに座っていても勝てるくらいのチームであってほしいという言葉は半分冗談だが、しかし確かな願いも込められている。自分で判断して、自分から行動を起こせる選手であり、ベンチから何も言われずとも「自分たち」になれる選手たちであってほしい。佐藤監督の思いは、当時から一貫していた。
 
 1年生から指導してきた選手たちが最終学年を迎えた今シーズン、佐藤監督には確かな手応えもあったはずだ。それだけの選手が揃っていたからだが、一方で「クラブが大きなトライをした年」(佐藤監督)でもあったのだ。
 
 J3へのFC東京U-23参戦は、U-18チームのマネジメントにも大きな影響を及ぼした。リーグ戦の試合ごとに選手が駆り出されるのだが、「誰が」いくことになるかはトップチームの選手たちの出場状況次第。試合当日朝になってJ3に行く選手が決まることもあり、U-18チームの選手起用は流動的にならざるを得なかった。
 
「難しいのは確かだけれど、こればっかりはやってみないと分からないからね」
 
 シーズン前、佐藤監督はそう言って笑っていた。そしてこの状況で笑えるのが、若き青赤軍団を率いる指揮官の凄味でもある。目指していたのは、選手が抜かれることをポジティブに解釈し、チームと個人を強化する手段とすること。まるで同じスタメンが組めないことを逆手にとって、どんな相手とも組める選手、試合やチームの状況に応じたプレーができる選手であることを求めた。
 
 その中でFWにコンバートされた内田宅哉がリンクマンとしての新たな個性を見せるような個としての進化があり、MF平川怜やFW久保建英といったルーキーたちの台頭があった。
 
 なによりU-23に呼ばれない3年生たちが「今年は自分がやらないといけないと思っている」(DF蓮川壮大)と強い自覚を持ったことが大きかった。普通の年なら「柱」として頼られていたであろう選手たちが欠けることによって、むしろ全体の底上げは加速していった。
 

次ページ準々決勝当日にもU-18からJ3の試合に選手を送り込む。

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