【千葉】関塚監督から長谷部監督“代行”へ。指揮官交代の背景と今後のプランとは?

2016年07月27日 本田健介(サッカーダイジェスト)

清水戦の屈辱的な敗戦を受けて…。

成績不振により指揮官の座から降りることとなった関塚監督。勝負の3年目で結果を残すことが出来なかった。(C)SOCCER DIGEST

 J2・25節、退場者を出して10人となった清水に3-4と逆転負けした千葉は、翌日の7月25日、関塚監督から長谷部コーチへの監督交代を発表した。シーズンの折り返しを過ぎ、昇格プレーオフ進出圏の6位とは勝点8差。あとのない状況での決断となった。「しっかりプレーオフ圏内に入るために指導体制を一新する判断に至りました」。前田社長は胸の内を説明する。
 
「本当に力を付け、しっかりとJ1で上位、そしてACL優勝を狙える地盤を作る」
 
 2014年7月、こう高々と目標を掲げて船出を切った"関塚ジェフ"は約2年後の7月25日に冒険の幕を閉じた。
 
 通算成績は33勝29分26敗。関塚監督はシーズン途中に就任した2014年は10勝8分3敗と、チームをJ2でクラブ最高位となる3位に引き上げ、昇格プレーオフへと進出させた。しかし、ドローでも昇格できる山形との運命の一戦では、前半に奪われた1点を返せずに敗戦。またしても、"勝負弱いジェフ"のレッテルを剥がすことはできなかった。
 
 リベンジを期した翌シーズンはN・ペチュニク(現・大宮)、パウリーニョ(現・松本)らを加え、「うちには得点を量産できる戦力は揃っていないので、まずは守備を重視することが大事」と、堅実なチームを作り、7戦負けなしとスタートダッシュに成功する。しかし、夏前から得点力不足と失点増加に悩まされて失速。結局はプレーオフに進出すらできない9位でフィニッシュ。「勝ち切れない、波に乗り切れない、やり切れない」――指揮官が総括したシーズンは多くのブーイングを浴びながら終わった。
 
 それでも、クラブは関塚体制継続を決める。2016年は24人を放出し、20人の新顔を迎える例を見ない血の入れ替えを行なっての再スタートとなった。
 
 関塚体制の継続に関して今年1月に就任した前田社長は「監督交代をすることで何かがすべて変わるとは思っていないです。時間軸のなかで2014年からこのチームをお預かりいただき、編成強化サイドとすり合わせをし、そのなかでチームは成長しているという前提で関塚監督に時間とチームをお預けしました。2015年は最終的に9位。しかしご存知のとおり、シーズンの浮き沈みを経ながらの9位ということで、2016年は選手を一新し、また成長の軌跡を描いていくということが当初の目論みで、それを関塚監督に託しました」と理由を語る。
 

次ページ気になるのは“代行”という立場。

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