【バイタルエリアの仕事人】vol.54 安藤智哉|J3でキャリアをスタート。原動力は地道な取り組み。W杯出場はアビスパで結果を残した先に

2025年07月31日 野口一郎(サッカーダイジェストWeb編集部)

プロ5年目で日本代表に初選出された安藤。写真:梅月智史(サッカーダイジェスト写真部/現地特派)

 攻守の重要局面となる「バイタルエリア」で輝く選手たちのサッカー観に迫る連載インタビューシリーズ「バイタルエリアの仕事人」。第54回は、アビスパ福岡のDF安藤智哉だ。

 前編では、初選出の日本代表で優勝に貢献した東アジアE-1選手権での戦いや、バイタルエリアの守り方などを語ってもらった。後編となる本稿ではまず、自身の成長について訊いた。

 安藤は、今季に加入した福岡で、シーズン序盤からスタメンに定着。一気に日本代表まで駆け上がったが、プロ入り当初は大きな注目を浴びていたわけではない。

 愛知学院大を卒業後、当時J3のFC今治に加入した2021年は、15試合の出場にとどまる。22年にはJ3ベストイレブンに選ばれる活躍ぶりで、翌年にJ2の大分トリニータに"ステップアップ"も、試練が待っていた。一時スタメンに定着し27試合に出場したが、終盤にはベンチ外も味わった。

 25歳のDFは、苦境をどのように乗り越えてきたのか。

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 大学卒業時のJリーグクラブからのオファーは、J3からしかなかったです。"J3上がり"と言われるのは、嬉しいですよ。J3というカテゴリーや、今治というクラブがなかったら、今の僕はないですから。
 
 今治での1年目の序盤は、出番がありませんでした。そのなかで橋川(和晃)監督からフォワードをやってほしいと言われ、初めてのスタメンはフォワードでした。大学ではセンターバックが本職で、パワープレーの際にはセンターフォワードもやっていました。ただ、まさかプロになってやるとは思いませんでしたね。

 大分での1年目も、活躍できませんでした。なかなか自分を出せなかったですね。4月の終わりから夏場までは試合に出られましたが、終盤はなかなか出られずに、メンバー外も続きました。シーズンを通じて5、6割程度の時間しか出られず、納得できるシーズンではなく、悔しかったです。

 その悔しさを24年にぶつけられました。J3時代から、どんな状況でも全力でやってきました。ブレずに取り組めるのは、自分の強みです。チームは残留争いに巻き込まれ、悩みもありましたけど、試合に出られるのはすごく幸せでした。
 
 悔しいことがあった時に、そこで諦めてしまうと、絶対に自分に返ってくると思っています。また試合に出られないのは、何か自分に理由があります。良かったら、使われますから。
 

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