印象に残るゴールは川崎1年目のハットトリックではなく...
昨年末の中村憲剛の引退試合で川崎サポーターにも労われる。愛される存在であった。(C)J.LEAGUE
悔いなく14年のプロ生活にピリオドを打った楠神順平。川崎、C大阪などでの華麗なプレーの数々で多くの人の記憶に残った彼だが、自らの選手人生を「いやーやっぱりしんどいことのほうが多かったっすね」と振り返る。
「パッと思い出すのは、苦しかったこと。嬉しかったことは一瞬ですし、俺はしんどい時期のほうが長かったですからね。試合に出られなかった時は一番きつくて。色々悩んだ思い出がありますね。出るためにはどうすればいいんだろうって。でも本当に素晴らしい人たちと、チームメートもそうですし、スタッフの方もそうですし、たくさん出会えて、凄く幸せな夢を見さてもらいました」
野洲高、同志社大を経て2010年に加入した川崎(2009年は特別指定選手で8月にデビュー)では、同年の5月5日のG大阪戦(△4-4)では71分から途中出場すると、20分弱で初ゴールを含むハットトリックをマークするド派手な活躍を示した。
「1年目で何も分からない状態やったので、今思ったら凄かったなと思いますけど、当時はまったく実感がなかったですね」
それでも大卒1年目から22試合・3得点の数字を刻むと、風間八宏監督が就任した2012年には、ともにキャリアハイとなる28試合・5ゴールの成績を残した。翌年には柿谷曜一朗ら一緒にプレーをしてみたい選手が多かったというC大阪へ移籍。10番を託された。ただ、C大阪では結果をなかなか残せなかった。
「川崎はではそれなりに出させてもらっていましたが、セレッソやその次に行った鳥栖、エスパ(ルス)もそうですし、試合に出られない、途中出場が多い時は、どうすればスタメンになれるか、メンバーに入れるか、もがいていた記憶が一番強いですね」
【画像】セルジオ越後、小野伸二、大久保嘉人、中村憲剛ら28名が厳選した「J歴代ベスト11」を一挙公開!
「パッと思い出すのは、苦しかったこと。嬉しかったことは一瞬ですし、俺はしんどい時期のほうが長かったですからね。試合に出られなかった時は一番きつくて。色々悩んだ思い出がありますね。出るためにはどうすればいいんだろうって。でも本当に素晴らしい人たちと、チームメートもそうですし、スタッフの方もそうですし、たくさん出会えて、凄く幸せな夢を見さてもらいました」
野洲高、同志社大を経て2010年に加入した川崎(2009年は特別指定選手で8月にデビュー)では、同年の5月5日のG大阪戦(△4-4)では71分から途中出場すると、20分弱で初ゴールを含むハットトリックをマークするド派手な活躍を示した。
「1年目で何も分からない状態やったので、今思ったら凄かったなと思いますけど、当時はまったく実感がなかったですね」
それでも大卒1年目から22試合・3得点の数字を刻むと、風間八宏監督が就任した2012年には、ともにキャリアハイとなる28試合・5ゴールの成績を残した。翌年には柿谷曜一朗ら一緒にプレーをしてみたい選手が多かったというC大阪へ移籍。10番を託された。ただ、C大阪では結果をなかなか残せなかった。
「川崎はではそれなりに出させてもらっていましたが、セレッソやその次に行った鳥栖、エスパ(ルス)もそうですし、試合に出られない、途中出場が多い時は、どうすればスタメンになれるか、メンバーに入れるか、もがいていた記憶が一番強いですね」
【画像】セルジオ越後、小野伸二、大久保嘉人、中村憲剛ら28名が厳選した「J歴代ベスト11」を一挙公開!
C大阪ではこんなエピソードもあった。
「10番を取られたんで(笑)。1年目は10番を託してもらったんですが、2年目にビッグプロジェクトを進めているから10番を空けて欲しいと強化部から電話がかかってきて。『良いですよ』と答えたら、入ってきたのが(ディエゴ・)フォルランだった。ワールドカップMVPで得点王ですからね。そらもう10番を渡しますよと。今となってはコレ絶対受ける、鉄板ネタです(笑)」
それでもプロ選手としては悔しさもあったに違いない。だかこそ、自らのキャリアで最も印象に残るゴールをC大阪2年目、11番を背負って奪った得点を挙げる。
「記憶に残るのはフロンターレのハットトリックもそうですけど、セレッソでの初得点かな。1年目は10番で1点も取れなくて。で、2年目でもなかなか取れず、10月くらいかな、徳島戦で試合終盤に自分でPKを手に入れて。そのPKを自ら蹴って決めたんですけど、それが一番印象に残っていますね。
基本はPK蹴りたくないんですよ。でもさすがにその時は『蹴らせて欲しい』と伝えて。当時セレッソは残留争いをしていて、結果的にそのシーズン、降格することになってしまうんですが、その意味でもかなり緊張したことを覚えていますね。しかも徳島は残留争いのライバルで負けられない相手だった(この試合、3-1でC大阪が勝利し、徳島のJ2降格が決定した)。だからこそ外すわけにはいかず、真ん中に決められたのは本当に良かったですね。
あの試合で(MVPとして)冷蔵庫をもらった(笑)? 確かにそうだったかもしれないですね…。やっぱりそういう意味でも印象に残る試合になりましたね」
【記事】東京駅から最も近いスタジアムの建設、関東リーグ1部・6位でも集客率アップ...GMも胸を張る風間八宏体制2年目の南葛SCの現在地
【記事】名物プロモ部長が南葛SCで描く新たな夢。風間八宏との"ぶっ飛んでいる"ふたりの再タッグで挑む都心クラブでの壮大な計画
【画像】ゲームを華やかに彩るJクラブ"チアリーダー"を一挙紹介!
「10番を取られたんで(笑)。1年目は10番を託してもらったんですが、2年目にビッグプロジェクトを進めているから10番を空けて欲しいと強化部から電話がかかってきて。『良いですよ』と答えたら、入ってきたのが(ディエゴ・)フォルランだった。ワールドカップMVPで得点王ですからね。そらもう10番を渡しますよと。今となってはコレ絶対受ける、鉄板ネタです(笑)」
それでもプロ選手としては悔しさもあったに違いない。だかこそ、自らのキャリアで最も印象に残るゴールをC大阪2年目、11番を背負って奪った得点を挙げる。
「記憶に残るのはフロンターレのハットトリックもそうですけど、セレッソでの初得点かな。1年目は10番で1点も取れなくて。で、2年目でもなかなか取れず、10月くらいかな、徳島戦で試合終盤に自分でPKを手に入れて。そのPKを自ら蹴って決めたんですけど、それが一番印象に残っていますね。
基本はPK蹴りたくないんですよ。でもさすがにその時は『蹴らせて欲しい』と伝えて。当時セレッソは残留争いをしていて、結果的にそのシーズン、降格することになってしまうんですが、その意味でもかなり緊張したことを覚えていますね。しかも徳島は残留争いのライバルで負けられない相手だった(この試合、3-1でC大阪が勝利し、徳島のJ2降格が決定した)。だからこそ外すわけにはいかず、真ん中に決められたのは本当に良かったですね。
あの試合で(MVPとして)冷蔵庫をもらった(笑)? 確かにそうだったかもしれないですね…。やっぱりそういう意味でも印象に残る試合になりましたね」
【記事】東京駅から最も近いスタジアムの建設、関東リーグ1部・6位でも集客率アップ...GMも胸を張る風間八宏体制2年目の南葛SCの現在地
【記事】名物プロモ部長が南葛SCで描く新たな夢。風間八宏との"ぶっ飛んでいる"ふたりの再タッグで挑む都心クラブでの壮大な計画
【画像】ゲームを華やかに彩るJクラブ"チアリーダー"を一挙紹介!