【EURO2016開催地を巡る旅】第7回:サンテティエンヌとジョフロワ・ギシャール「ショドロンと緑の民が待つ郷愁と熱狂の街へ」

2016年05月16日 結城麻里

レジェンドの面影が漂う、フランス中の郷愁と尊敬を集める街。

繁栄の面影とフランスの原風景が同居する街。かつては「武器の街」と呼ばれた。 (C) REUTERS/SUN

 今回はフットボール伝説の旅に出ます。ご紹介するのは、フットボール通には必見の街、サンテティエンヌ(人口約18万)です。
 
 ボルドー(第4回)やニース&コートダジュール(第6回)は、思わずフットボールが霞んでしまうような土地柄でしたが、サンテティエンヌは逆に、街や自然の魅力が霞んでしまうほど"フットボリスティック"な街。フットボール抜きには語れない場所です。
 
 通なら、以下にずらりと並べた名前を見ただけで、ここがいかに伝説に満ちているかがお分かりでしょう。
 
 エメ・ジャケ、ミシェル・プラティニ、ドミニク・ロシュトー、ヨニー・レップ、ジャック・サンティニ、ロラン・ブラン、ジャン=ミシェル・ラルケ、ウィリー・サニョル、グレゴリー・クペ……
 
 言うまでもなくジャケは、1998年にレ・ブルー(フランス代表の愛称)をワールドチャンピオンに導いた監督。プラティニは80年代、一世を風靡して3年連続でバロンドールを受賞したレジェンド。ロシュトーは「緑の天使」のニックネームで親しまれた、現クラブ副会長です。
 
 レップは、オランダ代表のワールドカップ最多ゴール記録保持者。そしてサンティニもブランも、監督として選手として、レ・ブルーで活躍しました。
 
 そう、彼らは皆、この街のクラブ、ASサンテティエンヌで大活躍した選手たちなのです!
 
 このクラブのチームと選手たちは、伝統的に「レ・ヴェール」(緑たち)の愛称で呼ばれています。緑はもちろん、クラブのシンボルカラーであり、ユニホームももちろんこの色を採用しています。
 
 元々は、クラブ創設と資金援助に貢献したチェーンスーパー「カジノ」のロゴカラーでしたが、今では"サンテティエンヌの色"の方が有名になっています。
 
 この「レ・ヴェール」がフランスを席巻したのは、60年代から80年代初頭にかけて。サンテティエンヌは、なんとリーグを10回も制覇したのでした。これは今でも、リーグ最多優勝記録となっています。
 
 現在でも、フランス人の脳裏に焼き付いている栄光のサンテティエンヌ。その"緑フィーバー"は、祖父から父へ、父から息子へと代々引き継がれ、栄冠から遠ざかるようになってからも、フランス中の尊敬と郷愁を集め続けています。
 
 というのも、ここにはレジェンドたちの面影がいつも漂っているのです。来るEURO2016では、レジェンドたちの"ナマ姿"も見かけるかもしれません。
 
 そういえばここは、松井大輔((現ジュビロ磐田)が所属したクラブでもあります。当時は、ロラン・ロメイエとベルナール・カイアゾの両会長派閥が対立するゴタゴタの最中でした。
 
 しかし、その後は役割分担ができて落ち着き、ロシュトー副会長やクリストフ・ガルティエ監督も加わり、コンスタントにヨーロッパリーグに出場できるクラブに返り咲きました。
 
 往年の輝きこそなくなったものの、「レ・ヴェール」は常に、フランス人の胸を懐かしい思いで締め付ける存在なのです。
 
 でも、レジェンドは選手だけではありません! 観衆とスタジアムも伝説に満ちています。
 
 まずは観衆。彼らは「プープル・ヴェール」(緑の民)と呼ばれています。
 
 元々、サンテティエンヌはフランスで最も早く産業革命が始まった街。フランス初の鉄道もフランス初のトラムも、ここで誕生しました。19世紀初頭から、鉄鋼業と炭鉱で栄華を極めたからです。
 
 溶鉱炉では、ショドロニエと呼ばれる労働者たちが鉄を真っ赤に溶かして打ち、巨大な武器工場では軍用の銃器が製造されます。一方、炭鉱では炭鉱夫たちが石炭を採掘、以前ご紹介した北フランス(第2回)の炭鉱群と大いに競い合っていました。
 
 サンテティエンヌの栄華を支えたのは、こうした労働者階級と民衆だったのです。
 
 デモもストも激しく行なわれましたが、フットボールの周りに熱狂的に集結したのも、この労働者たち。前述の伝統産業が傾き始めても、彼らは日々の喜びと悲しみをフットボールに重ね、スタジアムを埋め続けてゆきます。

次ページ燃えるショドロンで、緑の民とともに欧州の戦いを楽しもう!

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