【連載】霊長類ヒト科サポーター図鑑vol.10鴻井建三(横浜FCサポーター)「のんびりサッカー観戦するには調度いい環境」

2016年04月27日 宇都宮徹壱

「フリエを応援するようになったのは、なんとなくユニホームがカッコ良かったから(笑)」

98年からサッカー観戦を始めたという鴻井さん。日本おはじきサッカー協会会長も務める。写真:宇都宮徹壱

「ウチの強み? カズがいることとアットホームなところですかね(笑)」
鴻井建三(横浜FCサポーター)
 
 今季のスタートは、かなり不安でした。開幕3連敗、しかもノーゴールはウチだけでしたから(笑)。第4節の山口戦は、ミロシュ・ルス監督が緊急入院して、ライセンスを持っていない増田(功作)ヘッドコーチが指揮を執るスクランブル体制でした。あの時はどうなるかと思いましたが、2-0で勝利してからは、だいぶ持ち直しましたね。
 
 サッカーを観るようになったのは、横浜に引っ越してきた98年からです。その年に完成したばかりの横浜国際(現日産スタジアム)で、マリノスとフリューゲルスのダービーを初観戦しました。フリエを応援するようになったのは、なんとなくユニホームがカッコ良かったからです(笑)。
 
 でも、同じ年にあんなこと(マリノスとの合併)が起こるとは夢にも思いませんでした。結局、サポーターはクラブ消滅を阻止できませんでしたが、あの時の運動をきっかけに生まれた横浜FCを「なんとか支えなければ」という想いから、今に至っています。
 
 唯一、J1を戦った07年は、正直良い思い出がないです。前年、高木琢也監督体制でJ2優勝を果たしましたが、J1では辛く厳しい戦いが続きました。戦力的な部分はもちろん、クラブの体力にも無理があったように感じました。
 
 ただし、最終節に横浜国際で浦和に勝った試合は、あのシーズンのベストゲームでしたね。相手は首位で勝てば優勝、僕らは最下位で降格が決まっていました。バックスタンドも浦和のサポーターで埋め尽くされていて、ホームなのにアウェー状態。それでも、なんとか1-0で逃げ切って浦和の優勝を阻止したんです(鹿島が逆転優勝)。あの試合は全国で放映されましたし、最後の最後で報われた気分になりましたよ(笑)。
 

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