「挫折ではなく放棄」中村憲剛にとって「どうしていいか分からなくなった意味でナンバーワン」の出来事とは?

2024年03月15日 白鳥和洋(サッカーダイジェスト)

「生き残るための決断」

育成年代に情報を与える重要性と必要性を説く中村憲剛さん。写真:サッカーダイジェスト

 フットボーラー=仕事という観点から、選手の本音を聞き出す企画だ。子どもたちの憧れであるプロフットボーラーは、実は不安定で過酷な職業でもあり、そうした側面から見えてくる現実も伝えたい。今回は【職業:プロフットボーラー】中村憲剛編のパート3だ(パート6まで続く)。

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 プロ1年目である程度手応えを掴んだ憲剛さんは、「よっしゃ」という気持ちになっていた。しかし、次のシーズンに就任した関塚隆監督の下で飛躍を遂げようと意気込んでいた矢先、衝撃のニュースが舞い込んでくる。  

 ブラジル人アタッカー、マルクスの加入である。

「(加入話を聞いて)『はあ?』と思いましたよ。ガナ(我那覇和樹)、ジュニーニョ、今野(章)さんがいるのにマルクスが来て、『俺、潰されるわ、どうやって割って入るの』って。今野さんすらレギュラーポジションが怪しくなったわけですから、『俺は?』ってなりますよね」

 どん底から這い上がったと思ったら、また突き落とされる。憲剛さんのサッカー人生はまるでジェットコースターのようだ。プロフットボーラーはチームの移籍状況によっても心を掻き乱されるのだなと、この話を聞いて痛感させられた。

 ただ、憲剛さんの場合、マルクスの加入は実は吉兆だった。

「キャンプで関さん(関塚監督)に『ちょっと』みたいな感じで呼ばれて『ボランチをやってみないか』って。最初は『えっ』って思いましたよ。トップ下で計算されていないショックのほうが大きくて。でも、キャンプだったので、すぐに頭の回路を切り替えました。当時はベンチ入りが5人だったので、トップ下とボランチの両方をできたほうがメンバー入りの確率が高まると考えて」

 憲剛さんに言わせれば、「幅を広げられるチャンスであり、生き残るための決断だった」。ボランチへのコンバート、憲剛さんのサッカー人生を決定づける転機だろう。実際、彼は「本当に心から天職だと思う職業にそこで出合った」と言っている。
 
 プロサッカー界で長生きするためには、やはり憲剛さんのような柔軟な思考力が不可欠だ。

「育成年代の子どもたちには、ドリブルでもパスでもシュートでもなんでもいいから、自分の武器はちゃんと持っておけと言っています。あとはメンタル的な芯の強さ。でもそれ以外はいかようにも変えられる柔軟性は持ってほしいと。とにかく、変化を恐れないでほしいんです。その変化によって自分の芯、幹が太くなるので」

 変化に対応できずに消えていった選手もたくさん見ているからのアドバイスだ。ただ、憲剛さんが相手にしているのは社会人でもない子ども。彼らに理路整然と説明しても徒労に終わるケースもある。事実、「子どもたちの反応は?」と訊くと、「きっと分かっていないところもあると思います」と返された。それでも「いいんです」と憲剛さんは言う。

「(育成年代の子どもたちに)情報のシャワーを浴びせる意義はゴリさん(森山佳郎/元U-17日本代表監督、現ベガルタ仙台監督)から学びました。その情報を受け取るのも捨てるのも、その子の自由であり、責任でもある。僕たちは指導者として答を教えているわけではなくて情報と選択肢を与えているだけ。それも良かったけど、これも良いよね、と。それを受け取るか、受け取らないかは彼ら次第です」

 憲剛さんはロールモデルコーチとしてU−17日本代表の活動に参加すると、ミーティングの多さに驚いたそうだ。そこで森山監督に「結構、ミーティングをやりますね」と訊くと、「いいのよ、こっちは浴びせることしかできないんだから。16、17歳なんて、それで変わるんだよ」と返されたという。教え込むのではなく、たた単純に提供する。それが重要であると、憲剛さんは森山監督から学んだわけだ。

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