「石さんの練習がキツすぎて、泣きそうだった」「めちゃくちゃしんどかった」プロ初のキャンプで中村憲剛のメンタルがそれでも崩壊しなかった理由

2024年03月14日 白鳥和洋(サッカーダイジェスト)

非エリートの強みとは?

実体験に基づく中村憲剛さんの話は現役選手にどう響くのか。写真:滝川敏之

 フットボーラー=仕事という観点から、選手の本音を聞き出す企画だ。子どもたちの憧れであるプロフットボーラーは、実は不安定で過酷な職業でもあり、そうした側面から見えてくる現実も伝えたい。今回は【職業:プロフットボーラー】中村憲剛編のパート2だ(パート6まで続く)。

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 プロ1年目、プレシーズンから理想と現実のギャップに苦しんだ憲剛さんは、自身初のキャンプで練習初日と同じく地獄を見ることになる。

「石さんの練習がキツすぎて、泣きそうだったんですよ、本当に」

 石さんとは、石﨑信弘監督のことである。同監督の、フィジカルとテクニックの基礎的なメニューを織り交ぜた「フィジテク」をこなすのは文字通り「キツかった」。

「(キャンプの)初日、2日目が終わって(3日前の朝に)起きれないんです。筋肉痛で。準備をしてキャンプに臨んでいる先輩たちもみんなヒイヒイ言っていて、その中で大卒の僕は走れて当然と思われるわけです。そのプレッシャーとも戦っていたから、めちゃくちゃしんどかった」

 そんな環境でなぜメンタルが崩壊しなかったのか。

「僕はいわば最下層からプロになっているので、こうなるのは想定内というか、しょうがない、受け入れるしかないわけです」

 1年目から上手くいかない。そこを想定内とする思考回路。これがいずれ、中村憲剛を名プレーヤーへと押し上げる原動力のひとつになる。

「ここから自分がどう積み上げていくか。そういうシチュエーションは初めてではなくて、中学での挫折を経て、高校や大学でも直面しました。"カテゴリーギャップ"みたいものを乗り越えて、中央大学に入り、フロンターレに加入している。なので、切り替えは早かったです」
 
 要するに、憲剛さんは非エリートだった。学生時代には自分よりも上手い選手がゴロゴロいて、彼らの経歴は輝いていた。そうした"カテゴリーキャップ"を味わいながらも挫けず、プロになるための道筋を立てていた。そんな非エリートの強みがプロ1年目から活きたのだろう。

 憲剛さんのような思考回路を誰もが備えているわけではない。実際、ユース時代に「王様」と持て囃された選手がプロになった途端、壁にぶつかりそのまま消えていくケースはかなりある。

「ユースでエースと呼ばれるような子たちは、基本的にはそこまで大きな挫折を経験していないように見受けます。なので、壁にぶち当たった時にそうした状況を受け入れられないし、慣れていないし、よじ登る方法を当然知らないわけです」

 憲剛さんは「たかが…」と続ける。

「高校で2、3年、大学では3、4年。その程度の幅で『超○○級』と言われてもプロから言えば、『たかが』なんです。もちろん、そこで素晴らしい活躍を見せているからこそ、プロになれるので難しいところですが…。だから、言っているんですよ、フロンターレの育成年代の子どもたちに。挫折は早く経験しろと。難しいんですけどね、Jの下部組織の子たちなので。でも、上手くいかない原因を探っていくうちに思考力が鍛えられ、結果的に壁をよじ登る力が身に付くんですから」

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