「めちゃくちゃ怖かった。やばいって」夢と希望に満ち溢れていた中村憲剛がプロになってドーンと落とされた“地獄の練習初日”

2024年03月13日 白鳥和洋(サッカーダイジェスト)

「僕はJリーグに救われた」

「職業:プロフットボーラー」について語ってくれた中村憲剛さん。写真:滝川敏之

 フットボーラー=仕事という観点から、選手の本音を聞き出す企画だ。子どもたちの憧れであるプロフットボーラーは、実は不安定で過酷な職業でもあり、そうした側面から見えてくる現実も伝えたい。今回は【職業:プロフットボーラー】中村憲剛編のパート1だ(パート6まで続く)。

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 プロフットボーラーで成功者と言われるプレーヤーはいわばひと握りで、結果を出せないまま現役を退く選手のほうが多い。そんな不安定で過酷な仕事を、それでもやり続けるのはなぜか。その答を探るべく、中村憲剛さんに取材依頼をした。

 これまで権田修一選手(清水エスパルス)、酒井高徳選手(ヴィッセル神戸)と現役プレーヤーに話を聞いたので、連載3回目は「引退した名手の見解も面白いかな」と考え、憲剛さん(親しみを込めてそう呼ばせてもらう)にオファーしてみたのだ。

 現役時代から"対話のプロ"でもある憲剛さんなら、権田選手、酒井選手とはまた違った見解を示してくれるだろうと、そんな期待を膨らませてインタビュー当日、もはやお決まりとなった質問、「『職業:プロフットボーラー』と聞いて、思うことは?」と訊いてみた。すると、憲剛さんは「職業、プロフットボーラーか。そういう目線で考えたことがなかったですね。でも、面白いテーマではあります」と言って、表情を少し緩める。

 この男の好奇心をくすぐれば、どうなるか。おそらく、ここから自分は"言葉のシャワー"を浴びるはずだ。そうした中で、一言一句、聞き逃すわけにはいかない。話してくれた内容に対し、的確な返しをするためにも。机を挟んでのある意味、戦いである。褌を締め直して、改めて彼に問う。職業、プロフットボーラーとは?
 
「僕の場合、中1の5月にJリーグが開幕しました。それ以前はプロがないし、日本代表はオフト監督の下で少しずつ強くなっていましたが、未だ漠然としていて。でも、プロリーグの発足で、あそこに行きたい、ああいう選手になりたいっていう願望が芽生えました。ただサッカーが好きでボールを蹴っていた状況から、その線上にプロという道標ができたのはものすごく嬉しかったです」

 要するに、当時中学生だった中村少年にとって"プロフットボーラーは憧れの職業"だったということだろう。そんな解釈をしつつ、憲剛さんの話にしばし耳を傾ける。

「僕は中1で大きな挫折をしました。身長も伸びなくて、全然上手くいかなくて、1回サッカーをやめたんです。そんな状況下の5月15日に開幕したJリーグは挫折中の僕にとって大きな光だった。ピッチの上でキラキラ輝いている選手たちを見て、自分もあそこに立ちたいと思わせてくれた。ひと言でいえば、僕はJリーグに救われたんです」

 当時の中村少年はサッカーをやめている背景からも分かるように、プロになれる自信も確信もなかった。ただ、プロ化によって夢を描けるようになった。いつか、僕もあのピッチに立ちたいと。そう思わせてくれたことが、"その後の中村憲剛"を形成するうえで何より重要だった。

「プロはボールを蹴ってお金を稼いでいるわけだから、ピッチで良いプレーを見せなきゃいけないし、お客さんを感動させなきゃいけない。でも、なんかもう、そういう使命感を考えるよりも、ただああなりたいという感情。憧れの対象だったんです。なので、僕の中でのプロフットボーラーの定義は『子どもたちに夢を与える職業』になります」

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