【消えた逸材】官僚に暴行を加えて実刑判決を受けたロシア代表FWのキャリアはどうなったのか。32歳の現在はキプロスのアリスで英雄に!

2023年12月25日 ワールドサッカーダイジェスト編集部

ロシア・プレミアリーグの最年少ゴール記録を塗り替えた

ディナモ・モスクワでデビューを果たした2008年当時のココーリン。 (C)Getty Images

アレクサンドル・ココーリン(FW/元ロシア代表)
■生年月日/1991年3月19日(32歳)
■身長・体重/184センチ・77キロ
 
 身持ちが悪かった。夜遊びにかまけ、重大な暴行事件を起こして実刑を食らった。
素行不良でキャリアを台無しにしたのが、アレクサンドル・ココーリンだった。
 
 10歳でロコモティフ・モスクワの下部組織に加入し、ライバルのディナモ・モスクワに移ってプロ契約を交わし、プロデビューしたのが17歳のとき。2008年10月4日のそのデビュー戦では、途中出場から同点のネットを揺らし、ロシア・プレミアリーグの最年少ゴール記録を塗り替えた。逸材の華々しいスタートだった。
 
 少年の頃に憧れたのは、元ブラジル代表のロナウド。フェノーメノ(怪物)ほどのスピードはなかったが、嗅覚が鋭く、点で合わせるセンスがあり、フィニッシュワークは正確かつ多彩で、自ら仕掛けてこじ開けることもできて、アクロバチックなゴールを決めた。
 
 勝負強さも際立っていた。デビューから1か月後の古巣ロコモティフ戦で 1-0の決勝点を決め、09年7月のチャンピオンズリーグのセルティック戦(予選3回戦・第1レグ)でも、同じく虎の子の1点を奪ってチームに勝利をもたらした。
 
 11年11月にはロシア代表デビューを果たし、クラブでは12-13シーズンから2年連続で二桁10ゴールをマークした。この頃には移籍市場での注目度も高まり、ディナモは1900万ユーロ(約28億5000万円)の違約金を設定して引き抜きに備えた。
 
 さっそく違約金を支払うクラブが現われた。スレイマン・ケリモフというオリガルヒ(新興財閥)のオーナーシップで勃興するアンジだった。ところが、移籍後すぐにケリモフがクラブ財政を大幅に縮小してチームは事実上の解散となり、ココーリンはディナモへとまさかのUターン。
 
 それでも引く手は数多で、とくに熱心だったのが、国外のメガクラブではアーセナル、国内のビッグクラブではゼニトだった。16年1月、改めて移籍が決まる。射止めたのはゼニトだった。
 

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