【コラム】故障癖に泣いて転落した「元天才少年」。チェルシー加入のパットは再び欧州で輝けるのか?

2016年02月12日 沢田啓明

「ロマーリオとロナウドを凌ぐ才能」ともてはやされたが……。

2007年にインテルナシオナウからミランに移籍。テクニックとスピードが融合したスペクタクルなゴールを連発し、瞬く間に主力に伸し上がった。写真:Alberto LINGRIA

 昨年暮れから今年初めにかけて、ブラジルではとある元セレソンFWの動向が話題を集めた。
 
 アレッシャンドレ・パット、26歳。
 
 2006年に弱冠16歳でインテルナシオナウのトップチームに昇格し、いきなり1得点・2アシストの衝撃的なデビューを飾る。同年12月のクラブワールドカップでは大会最年少得点記録を樹立。翌年8月にはミランに移籍すると、ここでもデビュー戦ゴールを挙げ、瞬く間に超名門クラブでレギュラーの座を掴んだ。
 
 2008年3月には18歳6か月でセレソンに初招集され、スウェーデン戦で右サイドの角度のない位置から決勝点。三度目となるデビュー戦ゴールの快挙を成し遂げ、「ロマーリオとロナウドを超える潜在能力を持つ超逸材」と激賞された。
 
 2009年にはセリエA最優秀ヤングプレーヤー、そしてゴールデンボーイ(U-21世代の欧州最優秀選手)をダブル受賞。まるで劇画のヒーローように、一気にスターダムを伸し上がった。
 
 ところが、その後は一気に暗転する。2009年以降、筋肉系の故障が頻発。10-11シーズンこそ14ゴールを挙げてミランのスクデット獲得に貢献したが、その後は次第に精彩を失っていったのだ。
 
 さらに私生活でも、2009年にブラジルの若手人気女優ステファニー・ブリットと結婚したが、わずか9カ月で離婚。元妻から多額の生活費支払いを求められ、裁判闘争となった。その後、シルビオ・ベルルスコーニ(ミランのオーナー)の娘バルバラ・ベルルスコーニと交際したが、ほどなくして破局している。
 
 公私ともの悪い流れを変えるべく、2013年1月にミランからコリンチャンスへ。移籍金は当時のブラジルサッカー史上最高額の1500万ユーロ(約18億円)だった。
 
 しかし、貴公子然とした容姿、華麗だが見方によっては"軽い"プレースタイルが、闘志を剥き出しにして泥臭く闘う選手を好むコリンチャンス・サポーターの反感を買う。チーム内でも浮いてしまい、実力を発揮できなかった。
 
 そのためコリンチャンスは14年2月、年俸の半分を払い続けつつ、宿敵サンパウロに2年間貸し出すという異例の措置を取らざるをえなかった。
 
 サンパウロではサポーターとチームメイトに受け入れられ、伸び伸びとプレー。2015年シーズンは公式戦通算でチーム最多の26ゴールを挙げるなど、持ち前の決定力を発揮した。

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