失意のPK失敗...うずくまる山元敦琥を慰める輪。決死の覚悟で矢板中央を支えたMFは、間違いなくチームの中心だった【総体】

2023年08月02日 安藤隆人

焦りと不安。「本当に辛かった」

怪我を乗り越え、ピッチに戻ってきた山元。自身初の全国の舞台で躍動した。写真:安藤隆人

[インターハイ準々決勝]国見 0(3PK2)0 矢板中央/8月2日/カムイの杜公園多目的運動広場B

 気迫漲る選手が多い矢板中央のなかで、一際気持ちを前面に出しながらファイトする選手がいる。攻守の要であるボランチを司るMF山元敦琥だ。

 豊富な運動量で中盤を駆け回り、激しい球際の守備からボールキープと展開力を発揮する山元は、今大会に相当な想いを持って臨んだ。

「高校に入ってから初めての全国大会なんです。昨年から今年の春にかけて、ほぼサッカーができなくて焦りもあったし、かなり出遅れたという思いがあるのですが、ピッチに立たせてもらっていることに感謝して、もらったチャンスを絶対に無駄にしないようにプレーしています」

 目の色が違った。山元は岐阜県出身。FCV可児から、地元のこれから強化をしていく高校と、矢板中央高のどちらに進むか最後の最後まで迷った。

 中学時代から気心の知れた仲間たちと、帝京大可児などの県内の強豪を倒して歴史を作っていくことを選ぶか、地元から離れて、長い伝統と多くの実績を生み出している全国的な名門校に行くのか。

 決断は後者だった。

「何でも知っているような環境から、知らない環境に飛び込んでチャレンジしたほうが絶対に伸びると思った」
 
 覚悟を持って矢板中央にやってきたが、待っていたのは度重なる怪我だった。ルーキーリーグでは中学時代から慣れ親しんだFWとサイドハーフをこなし、コンスタントに試合出場を果たすが、2年のインターハイ予選前に右膝の靭帯を損傷。夏に復帰を果たすが、今度は同じ箇所の前十字靭帯断裂の大怪我を負い、手術することになった。

 インターハイ、選手権も関わることができず、選手権予選ではチームの敗退をスタンドからただ見つめることしかできなかった。最高学年になってもリハビリは続き、新人戦、春のフェスティバルにも参加できなかった。

「早くサッカーがしたいという焦りと、このまま出られないまま終わるんじゃないかという不安がありました。それ以上に僕はチームに何も貢献していない。何もしていないことが本当に辛かった」

 それでも懸命のリハビリの末、4月に復帰を果たし、プリンスリーグ2部の途中出場から始まり、プリンス1部でも途中出場でチャンスを掴むようになった。

 そして、インターハイ予選前にボランチが負傷し、本来のポジションではなかったが、運動量とハードワーク、何よりも巻き返しを誓う山元の闘志を買われて、チームの"心臓"に抜擢された。

「ボランチは戸惑いましたが、試合に出られるなら、チームに貢献できるならどこでもいいと思っていたので、全身全霊でプレーするのみでした」

 持ち味を発揮して優勝に貢献。今度は小森とコンビを組んで本番を迎えることになった。

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