選手を成長させる“種まき”やトレンド先取りの戦術も。J3八戸指揮官の石﨑信弘が、かつての川崎、柏、札幌で振るった手腕

2023年06月02日 元川悦子

柏と札幌ではJ1昇格を経験

これまで11クラブで指揮を執った石﨑監督。現在はJ3の八戸を率いる。写真提供:ヴァンラーレ八戸

 2023年のJリーグ・60クラブの指揮官を見渡すと、今季途中まで柏レイソルを率いていた72歳のネルシーニョ監督が去り、現時点での最年長は1957年生まれ・65歳の北海道コンサドーレ札幌のミハイロ・ペトロヴィッチ監督だ。

 ヴァンラーレ八戸の石﨑信弘監督も同じ65歳だが、生まれ年は1958年。「いつの間にか上から2番目になってるね」と本人は苦笑する。

 石﨑監督は単に年齢が高いだけでなく、経験値も頭抜けている。Jリーグ30年のうち、28年間を指揮官として過ごしてきた人物はこの人しかいない。

「ワシは有名なチームを率いたことはないから」と本人は謙遜しているが、マネジメント力が高く評価されているからこそ、日本各地のクラブからオファーが舞い込むのである。

 長い指導者キャリアで特筆すべきなのは、川崎フロンターレ、柏レイソル、札幌というJ1クラブで土台作りに尽力していること。それぞれJ2時代に就任し、柏と札幌をJ1に昇格させた手腕は高く評価されるべきだろう。
 
 まず川崎に関しては、2001年7月~03年の2年半、監督として采配を振るった。当時の川崎は2度目のJ1昇格に向けて再起をかけている時代だった。

「J1昇格はできなかったけど、2003年のチームは好きだったね。アウグストやジュニーニョ、我那覇(和樹)がいて、箕輪(義信)、寺田(周平)、伊藤宏樹とか長橋(康弘)、(中村)憲剛もいて、メンバー的にも非常に個性豊かだったから。

 あの時は3バックで異常なくらいプレスをかけて、完成度はある程度のところまで行ったと思う。自分が辞めたあと、関塚(隆)監督が率いた翌年は同じメンバーでJ1に上がったよね」と、石﨑監督は20年前を振り返る。

 とりわけ、中央大から加入したばかりの中村憲剛を直々に指導したのは、印象深い出来事だったようだ。

「憲剛は中央大を出て、行くところがなくて、川崎にテスト生として来たんだよね。それでもワシはほぼ全試合で使ってる。とにかく華奢だったし、運動量も少なくて、パフォーマンス的にも不安定だったけど、フィジテクで徹底的に鍛えたことで強くなっていったのかなと。もちろん憲剛だけじゃなくて、みんな走らせるからね。体力的ベースがなければ、プロとしては戦えないから」と、石﨑監督は心を鬼にしてタフさを養わせたという。

 このアプローチを中村本人も感謝しており、2020年の引退時にも「若い時に鍛えてもらったから40までプレーできました」と、石﨑監督はお礼の言葉をもらったようだ。

 川崎にとっても、中村がプロキャリアを踏み出し、現在指導者になっている長橋や寺田、スカウトの伊藤といった有望な人材が大きく飛躍したという意味で、石﨑監督時代は有意義なものだったと言っていい。
 

次ページ「個人が伸びていくのが一番のやりがい」

みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事