引退を決意した澤穂希の光と影。彼女だからこそ背負った苦しみと味わえた喜びとは?

2015年12月18日 早草紀子

厚き世界の壁に跳ね返される日々も、サッカーの質を高めるための機会であり喜びだった。

15歳で代表デビューして以来、日本の女子サッカー界を牽引してきた澤。「なでしこジャパン」が躍動する現在に至るまでには、幾多の敗戦、悔し涙を乗り越えてきた。(C) Getty Images

"その時"がついに来てしまった。15歳で代表デビューして以来、代表戦出場通算205試合・83ゴール。20年に渡り、日本女子サッカーを牽引してきた澤穂希が引退を決意した。
 
 2011年の女子ワールドカップ優勝、バロンドール獲得、2012年ロンドン五輪で銀メダル。彼女が打ち立てた記録は数知れない。そのいずれも20年という月日をかけてゼロから積み上げていったものだ。
 
 日の丸を背負う先輩を必死に追いかけた中学時代から澤は目を引く存在だった。だが初めての世界大会だった96年アトランタ五輪後に、目を掛けてくれた先輩選手たちの多くが引退。この頃から、澤にとっても、日本女子サッカーにとっても苦しい戦いがスタートすることになる。
 
 今で言えば、U-20年代あたりの選手へと世代交代した代表は世界とは計り知れない差があり、アジアでもタイトルからは程遠い位置にいた。屈辱的な敗北を繰り返し、試合後に悔し涙を流す澤の姿を目にするのも決して珍しいことではなかった。
 
 けれど、世界に触れるたびに感じる"壁"は、澤をより貪欲にした。「もっと上手くなりたい」はもはや口癖。この時代の選手たちはサッカーの戦術、技術を凄まじい勢いで吸収していく。その姿勢は、より高度なものを求められるという環境に飢えているようにも見えた。
 
 角度を変えれば苦労と見られるかもしれないが、澤にとってはサッカーの質を高めるための機会であり、喜びだった。そしてついにドイツ・女子ワールドカップで手にした世界一。MVPと得点王に輝いた澤への注目もいやおうなしに高まっていった。
 

次ページロンドン五輪後は常に実力の“証明”が必要に。自身のプレーに自問自答を繰り返した。

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