【連載】小宮良之の『日本サッカー兵法書』 其の四十九「ガムシャラの代償」

2015年12月17日 小宮良之

点と線を無視したガムシャラさは自己満足でしかない。

エイバルでは守備にも精を出す乾。その献身性は評価すべき一方で、周囲との呼吸が合わずに敵に“穴”を突かれるシーンも数多く見られる。(C)Getty Images

「頑張れ!」「戦え!」「気持ちを見せろ!」
 
 日本サッカー界では、こうした叱咤激励が日常的に飛び交う。小学校からJリーグまで、頑張ることの大切さが語られる。顕著なのは守備、プレスの場面かもしれない。必死の形相で全力疾走し、ボールに詰め寄る。ピッチを駆けずり回る姿に、最大級の賛辞が降り注ぐ。自分を捨て、集団のために尽くしているとして、献身性が尊ばれるのだ。
 
 一生懸命な姿は、たしかに美しい。しかし、そのガムシャラさは本当に尊いのか?
 
 トップレベルのフットボールにおけるディフェンスとは、基本的に自分のポジションを点として防御することに端を発している。自分の点と周囲の選手が持っている点によって線を引き、それを防御ラインとし、敵に突破されないようにする。防御とは常に、点と線を死守することを意味する。
 
 相手を囲い込むプレスによる守備とは、ボールホルダーに対して激しく圧力をかけることだが、それも周りとの連動で点と線を作らなければ話にならない。
 
 言い換えれば、点と線を無視したガムシャラさは自己満足でしかないだろう。ひとりが突出して駆け出してボールを追ったとしても、トップレベルのゲームでは奪い取れる可能性が限りなく低い。ひたすらに頑張る姿を見せるのは無価値に等しく、むしろエゴイスティックな行為であって、チームを危険に陥れかねない。
 
 世界最高峰フットボールリーグ、スペインのリーガ・エスパニョーラにおいて、走りすぎることは愚の骨頂とさえ見なされる。
 
 例えば、エイバルでプレーする日本代表MF乾貴士は、守備を頑張っているように映るかもしれない。まさにガムシャラなプレスを彼は見せる。それは彼なりの献身性であって、その心意気は評価されるべきで、闘志を称える声は少なからずある。しかし、周囲との呼吸がまるで合っていない。彼が前方に走っていくことで、後方のスペースが空き、点と線に綻びができ、そこを敵に突かれる。そうしたシーンが数多く見られる。

次ページ周りと連動せずに走っても、百害あって一理なし。

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