「サッカーの考え方をぶっ壊された」転機となった恩師との出会い、そして別れ。初めての挫折も「練習に行くのも嫌だった」【パリの灯は見えたか|vol.3 山本理仁】

2023年05月02日 松尾祐希

ストリートサッカーで勝負を挑む日々

山本理仁(やまもと・りひと)01年12月12日生、神奈川県出身。179センチ・71キロ。創造性豊かな技巧派レフティ。写真:松尾祐希

 パリ五輪世代で期待のタレントをディープに掘り下げるインタビュー連載。第3回目は、ガンバ大阪の山本理仁だ。

 山本は東京ヴェルディの育成組織で育ち、世代を牽引する存在として眩い光を放ってきた。クラブでは常に上のカテゴリーでプレーし、高校2年生でトップチームに引き上げられた。

 背負う期待値は特大級。中学年代はエリートプログラムに名を連ね、中学3年生以降は世代別代表の常連として活躍してきた。

 しかし、国際舞台には一度も出場していない。2017年のU-17ワールドカップは一学年下で縁がなく、主軸候補だった2021年のU-20ワールドカップはコロナ禍の影響で中止。タイミングが合わず、日の丸を背負って公式戦を戦う機会は得られなかった。

 だからこそ、2024年のパリ五輪に懸ける想いは強い。昨夏にG大阪へ移籍したのも全ては来夏のため――。パリ五輪世代を牽引するプレーメーカーはどのような道を歩み、どんな未来を描いているのか。ルーツを紐解きながら、大舞台に懸ける想いを聞いた。

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 左足から繰り出す正確なキック、ピッチを俯瞰できる視野の広さは、パリ五輪世代で屈指のレベル。創造性も豊かで、アイデアに富んだパスから多くのチャンスを作り出す。随所に"ヴェルディらしさ"が顔をのぞかせるプレーメーカーは、多くの人の期待を受けてきた。高い技術力はいかにして磨かれたのか。原点は幼少期の頃まで遡る。

 2001年の12月12日 、山本家の第二子として姓を授かった。3歳上の姉がいたが、山本家にとっては待望の長兄。父から可愛がられ、幼い頃から近所の公園にボールを蹴りに行っていた。この父との時間がテクニックを磨く最高の時間。当時を振り返り、山本は言う。

「父親に連れられて行くと、その日、公園にいる一番上手い人に挑戦するんです。父に行って来いって言われるんですよ(笑)」

 年上でも関係ない。幼稚園の頃からボールを蹴りに行き、ストリートサッカーで勝負を挑む日々が続いた。小学校の入学後も変わらない。最も衝撃を受けたのが、ペルー人の集団だった。

「ペルー人たちはめちゃくちゃ上手かった。行くと、簡易ゴールを置いて、毎回ミニゲームをやっているんですよ。そうしたら、父から『お前、そこに入ってこい』って言われる。でも、小学校低学年の頃って、いきなり知らない人の中に入って行くのが嫌じゃないですか。みんなめちゃくちゃ上手いし、もうどうしていいか分からないですよ」

 南米仕込みのテクニックに翻弄されながら、必死に食らいついた。「今思えば、そういう経験が後々生きてきたのかな」と笑顔を見せた一方で、言葉も通じない状況で輪に入って行くのは、子どもにとっては難易度が高い。「怖かった」と話すが、年上のペルー人たちと一緒にボールを蹴った体験が技を磨くうえで原点になった。

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