【選手権代表校】新潟明訓|一念発起した指揮官がバイエルンへ飛び込みで武者修行。熱意と発想の転換で全国を掴む!

2015年12月10日 安藤隆人

強烈な使命感に駆られた指揮官が昨年単身ドイツへ。

新潟明訓(新潟)
所在地:新潟県新潟市江南区北山1037
創 立:1921年 創 部:1948年
選手権最高成績:1回戦(1964、72、73、95、99年度)
主なOB:石川 慧(仙台)

「今年の選手たちは力がある。だからこそ、自分がしっかりしないといけないと強く思った」
 
 こう語る田中健二監督は、もともと理論派として知られ、ポゼッションサッカーをベースにしたチーム作りには定評があった。だが、これまでインターハイこそ全国ベスト8に導いた実績はあるものの肝心の選手権には縁がなく、田中監督が就任してからはもちろん、約15年間もの間、遠ざかってしまっていた。
 
 2年前にU-15日本代表の経歴を持つMF加藤潤や、中村亮太朗、高橋怜大といったタレントたちが入学し、彼らを1年の頃から起用してきた田中監督は、今年がチャンスと見ていた。
 
「全国レベルの力を持っているこの代で全国に行けなければ、自分の責任だと思う」と、強烈な使命感に駆られた指揮官は昨年、単身ドイツへ渡航した。
「ドイツの育成機関を勉強して、ウチになにが足りないのか、なにが必要なのかを学びに行った」
 
 田中監督はバイエルン・ミュンヘンの育成機関に『飛び込み』で訪問。最初は門前払いに遭うが、熱意が伝わり育成関係者が秘訣を教えてくれた。
 
「単なる走り込みはしない。指導者は常に褒めて選手を伸ばす。その中で選手たちはさぼることなく連続をしてプレーし続ける。基本的なことだけど、それをしっかりと集中してやっている姿に大きな感銘を受けた」
 
 そこから選手たちへのアプローチも変えた。そして、攻守の切り替えが早く、ポゼッションから速攻と、バリエーション豊かな攻撃が展開できるチームを作り上げてきた。
 
 勝負の年となった今年、インターハイ予選を制し、2年ぶりのインターハイに出場するも、結果は大阪桐蔭に初戦敗退。「ポゼッションと速攻が出来ても、それを決めきるストライカーがいなかった」(田中監督)。この反省を踏まえ、インターハイ後に田中監督はある決断を下す。
 
 これまでSBだったDF田辺大智をFWにコンバートしたのだ。
 
「彼は身体能力がずば抜けて高くて、シュート力もある。SBではその力を発揮できなかったけど、前線に置いて役割をシンプルにすれば、爆発してくれるんじゃないかと思った」
 
 この狙いは的中した。田辺の鋭い動き出しとスピード、シュート力は、ポゼッションと速攻のフィニッシャーとして、ジャストフィットした。
 

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