【消えた逸材】「敬意のかけらもない」「酷く不愉快だ」会長と監督を激怒させた事件でキャリアが暗転…06年W杯の仏代表にサプライズ招集されたDFの「最大の後悔」

2023年01月07日 ワールドサッカーダイジェスト編集部

朗報はアンリからもたらされた

招集歴がないまま06年W杯でフランス代表に選ばれたシムボンダ。 (C)REUTERS/AFLO

パスカル・シムボンダ(DF/元フランス代表)
■生年月日/1979年2月21日
■身長・体重/182センチ・75キロ
 
 最高の巡り合わせだった。
 
 フランスのバスチアで頭角を現わし、念願だったプレミアリーグへのステップアップを果たしたのは2005年の夏。ドイツ・ワールドカップ(W杯)を控えた05-06シーズンだ。
 
 新天地のウィガン・アスレティックですぐさま右SBのレギュラーに定着すると、12節の時点で2位につけるチームの大躍進に貢献して一気に大ブレイク。活躍ぶりはフランス代表を率いるレイモン・ドメネク監督の目に届き、招集歴がないままW杯の登録メンバーに滑り込む。本番では出場機会はなかったものの、ジネディーヌ・ジダンやティエリ・アンリらとともにファイナリストとなるシンデレラストーリーを実現したのが、パスカル・シムボンダだった。
 
 運命に導かれているかのようだった。バスチアでのラストシーズンは人種差別の標的となり、自軍のサポーターから心ない野次を浴びた。家族のもとに脅迫状が届くそんな恐怖も味わった。退団は避けられない状況となり、移籍交渉を進めていった。引く手は数多だった。最終的にマルセイユからのオファーを断りウィガンを選んだのは、プレミアリーグが憧れの場所だったからだ。

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「自分を試す最高のタイミングだ」と決意を新たに渡ったイングランドでは、すべての歯車が噛み合った。シンプルな堅守速攻が機能したチームは開幕から快進撃を続けた。26歳の新戦力は右サイドで攻守に躍動してその一翼を担うと、プレミアリーグ10位、リーグカップ準優勝というチームとしての成功とともに、個人としての勲章も手に入れる。PFA(プロ選手協会)の年間ベスト11に選ばれたのだ。
 
 夢は膨らんだ。レ・ブルー(フランス代表)の一員として、W杯に出場したい――。カリブ海に浮かぶフランスの海外県グアドループで生まれ育ち、その代表に名を連ねていたが、本国フランスの代表に鞍替えして大舞台に立つことを夢見た。現実味はあった。当時のレ・ブルーは、世界的名手のウィリー・サニョールが右SBの絶対的なレギュラーに君臨していたが、バックアッパーは手薄だった。
 
 朗報は、アンリからもたらされた。そのときのことを本人はこう振り返っている。ウェブメディア『ロンドン・ワールド』で明かした話だ。
 
「アンリから電話があって、監督(ドメネク)が連絡したいと言うから番号を教えても構わないかって、そう聞かれたんだ。するとドメネクから本当に電話がかかってきて、バカンスの予定は延期にしたほうがいいだろうって言われて。チームを見直していて、僕も構想に入っていると」
 
 夢が叶った瞬間だった。ジダンやアンリ、リリアン・テュラム、パトリック・ヴィエラ、クロード・マケレレらレ・ブルーのレジェンドたちと過ごした2か月間は「サッカー人生のハイライトだった」。
 

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