サポーターに半殺しにされるかもしれないが――。
今季は“勝利のダンス”を何度も踊ることができた。写真:石倉愛子
 湘南サポーターに半殺しにされるかもしれないが、白状しておこうと思う。
 
2010年のシーズン途中から終わりまでの短い期間、一度、湘南ベルマーレを担当していた。それまでの担当者が仕事を辞めたため、北京五輪代表を担当していたよすがもあり、反町前監督の率いるチームを任させてもらったのだ。
 
しかし担当した約5か月間、結局、一度も湘南はホームで勝てなかった。湘南が勝ったところを見られなかったのだ。疫病神――!?
 
担当になった直後の13節、アウェーの京都戦で勝利を収め、まだ降格圏の16位とはいえ、勝点は15位タイ。次戦に勝てば、14位以上の"安全圏"にジャンプアップできる位置に付けた。
 
チーム状態は上向いていた、はずだった。
 
ところが湘南はその後、21試合勝ち星がないままシーズンを終えた。断トツの最下位に沈み、呆気なくJ2降格が決定した。
 
なので、負けた原稿しか書けなかった。しかも負けが続くと、スタジアムになんとも言えない重い空気が漂い出す。勝てないことが続く、悪循環の怖さを思い知らされた。
  
    
    
    
        
     
    
      
               
    
    
    
    
    
              
    
    
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
     
    2010年のシーズン途中から終わりまでの短い期間、一度、湘南ベルマーレを担当していた。それまでの担当者が仕事を辞めたため、北京五輪代表を担当していたよすがもあり、反町前監督の率いるチームを任させてもらったのだ。
しかし担当した約5か月間、結局、一度も湘南はホームで勝てなかった。湘南が勝ったところを見られなかったのだ。疫病神――!?
担当になった直後の13節、アウェーの京都戦で勝利を収め、まだ降格圏の16位とはいえ、勝点は15位タイ。次戦に勝てば、14位以上の"安全圏"にジャンプアップできる位置に付けた。
チーム状態は上向いていた、はずだった。
ところが湘南はその後、21試合勝ち星がないままシーズンを終えた。断トツの最下位に沈み、呆気なくJ2降格が決定した。
なので、負けた原稿しか書けなかった。しかも負けが続くと、スタジアムになんとも言えない重い空気が漂い出す。勝てないことが続く、悪循環の怖さを思い知らされた。
次ページ「アイツはいずれベルマーレを背負って立つ選手になる。その頃、俺はいないけどね」と反町前監督が絶賛したのが、2010年の永木だったが……。