【湘南担当記者コラム】木端微塵に希望を砕かれた“あの時”から、追い求めてきたオリジナルの一体感

2015年11月03日 塚越 始(サッカーダイジェスト)

サポーターに半殺しにされるかもしれないが――。

今季は“勝利のダンス”を何度も踊ることができた。写真:石倉愛子

 湘南サポーターに半殺しにされるかもしれないが、白状しておこうと思う。
 
 2010年のシーズン途中から終わりまでの短い期間、一度、湘南ベルマーレを担当していた。それまでの担当者が仕事を辞めたため、北京五輪代表を担当していたよすがもあり、反町前監督の率いるチームを任させてもらったのだ。
 
 しかし担当した約5か月間、結局、一度も湘南はホームで勝てなかった。湘南が勝ったところを見られなかったのだ。疫病神――!?
 
 担当になった直後の13節、アウェーの京都戦で勝利を収め、まだ降格圏の16位とはいえ、勝点は15位タイ。次戦に勝てば、14位以上の"安全圏"にジャンプアップできる位置に付けた。
 
 チーム状態は上向いていた、はずだった。
 
 ところが湘南はその後、21試合勝ち星がないままシーズンを終えた。断トツの最下位に沈み、呆気なくJ2降格が決定した。
 
 なので、負けた原稿しか書けなかった。しかも負けが続くと、スタジアムになんとも言えない重い空気が漂い出す。勝てないことが続く、悪循環の怖さを思い知らされた。

次ページ「アイツはいずれベルマーレを背負って立つ選手になる。その頃、俺はいないけどね」と反町前監督が絶賛したのが、2010年の永木だったが……。

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