【指揮官コラム】特別編 三浦泰年の『情熱地泰』|理想の「勝利」とはなにか?

2015年10月15日 サッカーダイジェスト編集部

例えば骨董品の世界では高く売ることが勝利ではない。

様々な経験をしてきたタイでは、必ずしも目の前の敵を叩きのめすことだけが「勝利」ではないという教えにも触れた。(C) SOCCER DIGEST

 格闘技、闘いの世界での勝利とは何か?

 こんな話がある。1Rで倒してやると意気込んで向かって来た相手に、一発もパンチを繰り出さずに勝利したボクサーがいたらしい。2Rのスタート、その宣言した選手はリングに出て来なかったというのだ。パンチを一発も出さずに勝つのは、理想の勝利だ。
 
 清水の次郎長も闘わなかった相手がいたらしい。喧嘩が強かった次郎長が敵わないと判断した相手は山岡鉄舟であり、彼は闘わずして勝利した。
 
 本当の勝利とは何か? サッカーは相手より多く点を取ることを競うスポーツだ。
ほとんどの球技スポーツが相手より得点をして勝利という。相手より得点が低くて勝利というスポーツはバッと言っても出てこない。
 
 しかし、僕はタイで凄いことを教わった。それは「殺し合い」における勝利とはなにか?
答えは「やるか、やられるか」「殺すか、殺されるか」の相手と友達になること。それが究極の勝利だという。つまり、必ずしも目の前の相手を叩きのめすこと、より多くの得点を奪うことのみが「勝利」ではない、という価値観だ。
 
 これはなんの世界でも同じかもしれない。例えば、僕には骨董の世界に友人がいて、その人の骨董への心、骨董を愛する人への想いにはいつも共感している。
 
 骨董を買いに来る人にもいろんな人がいるらしい。決して多くの人が買いに来る物ではないが、好きな人は本当に好きであろう。普通、あまり骨董の知らない僕であれば、「これおいくらですか?」と値段を聞いてから購入するか否かを決める世界なのかと思う。
 
 デニムを買うなら相場はだいたい分かるし、古着になればもう少し奥が深くなってくるが、常識的に買うか買わないかは決められる。それが骨董になれば値段をしっかり聞くのは当然のことだ。
 
 その骨董をどんな人に譲るのか? 値段はどのようにしてつけるものなのか? 僕のことを知らないという前提で、骨董を知らない僕にある品物を売るとしたら、売ると思っていた値段の『倍』の値段を付けても僕がそれを気に入れば買うであろうし、その時になってみなければ分かることではない。
 
 ただそんな時、「この品物は素晴らしい、これをいただきます」と言われたら、売り手は定価、いや原価に近づけてより安く譲ってしまうだろう。というのだ。
 
 値切って値切っていくらになるという物ではなく、まさしく心でその骨董を購入する。お客様と売手の関係で言えば、売るほうが完敗であり購入した人の勝利なのである。その人は『私の好きな骨董品をこの骨董の価値を分かっている人に持っていてほしい、ちゃんとした(しっかりした)人に売りたい』と言っていた。
 
 だから高く売ることだけが勝利ではなく、その人なりの「勝利」があるのである。

次ページ試合に勝つことだけが「勝利」ではなく、売上げが上がることだけが「勝利」ではない。

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