【今だから言える15年夏の超極秘話⑦】ミランがコンドグビア争奪戦に敗れた原因は内部抗争だった?

2015年10月10日 ジャンルカ・ディ・マルツィオ

コンドグビアの仲介人は無名の27歳だった。

ミラノの両雄が争奪したコンドグビアは結局インテルに移籍。ミランが敗れたその理由とは? (C)Getty Images

 今夏のカルチョ・メルカート(移籍市場)前半で最大の見物だったのが、ジョフレー・コンドグビアを巡ってインテルとミランがモナコ公国のモンテカルロで繰り広げた「夜のミラノ・ダービー」だ。
 
 コンドグビアに先にアプローチしていたのはインテル。ロベルト・マンチーニ監督が直接説得に乗り出して本人を説き伏せ、早い段階で条件面も含めて合意が成立していた。
 
 しかし、ミランのアドリアーノ・ガッリアーニ副会長が、6月19日にモンテカルロでUEFAコングレスが開催された際に、モナコと近い関係にあり、コンドグビアの保有権の一部を持っていると言われる投資ファンド、『ドイエン・スポーツ』のネリオ・ルーカス代表を通してコンドグビアに接近。インテルの条件(年俸360万ユーロ+ボーナス)を上回る年俸400万ユーロを提示し、一時はインテルとの合意を反故にさせる直前まで話を進めた。
 
 もちろん、インテル側も黙ってはいない。同日夜にモンテカルロ市内の高級レストランでコンドグビアとその代理人、さらにはモナコのヴァディム・ヴァシリエフ副会長と会談。そこで別のテーブルを囲んでいたガッリアーニとルーカスに鉢合わせするアクシデントもあったが、その後はホテルに場所を移して深夜まで交渉を続け、翌日に契約を交わすところまで漕ぎつけた。
 
 興味深いのは、ベルギーとイタリアの二重国籍を持つまだ27歳のパオロ・スキアボーネという無名の男が、仲介人として交渉を請け負っていたこと。スキアボーネは元サッカー選手で、ベルギー2部のクラブでコンドグビアの兄エバンスと一緒にプレーした経験がある。
 
 その縁でつながりが生まれ、コンドグビア側の仲介人としてインテル、ミランの双方と話し合いを持ったのだ。
 
 ちなみにスキアボーネは、フランス2部のアビニョンでプレーしていたエバンスもインテルと契約させた。ただ、兄は弟と違って戦力として計算されているわけではなく、すぐに提携クラブであるレーガ・プロ(3部)のレナーテにレンタル放出されている。

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