【W杯を手繰り寄せた男たち|茂庭照幸編】バカンス中に1本の電話が…。追加招集で初戦に途中出場、まさかの逆転負けに悔恨の念

2022年08月19日 元川悦子

Jリーグで必死のアピールも無念の落選

ドイツW杯は追加招集で、大事な初戦で途中出場した茂庭。「もうやるしかなかった」と当時の心境を明かす。(C)SOCCER DIGEST

 4年に一度の祭典、ワールドカップ。この大舞台に立つことを約束された者などいない。メンバー入りを巡る熾烈な争いで、本大会が近づくにつれて序列を覆したケースもある。日本が参戦した過去6大会で、W杯を手繰り寄せた男たちの知られざるストーリー。今回は、一度は落選の憂き目に遭うも、追加招集で初戦のピッチに立った茂庭照幸をクローズアップする。

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 カタール・ワールドカップ(W杯)まで、残り3か月。日本代表に残された強化の場は、9月のアメリカ・エクアドルとの2連戦と11月のドーハでの直前合宿しかない。

 とはいえ、どちらの代表活動もコンディショニングが中心で、戦術を細かく浸透させる時間がほとんどない。それだけに、選手たちにとっては日頃のクラブでの一挙手一投足がより重要になってくるのだ。

 2006年ドイツW杯に追加招集された茂庭照幸(マルヤス岡崎)もそれを痛感していた1人。同大会のメンバー発表は、グループステージ初戦・オーストラリア戦の約1か月前の5月15日に行なわれたが、彼は「Jリーグで活躍して最後の枠に滑り込むしかない」と覚悟を決めて、直前まで全力で戦い続けていたと明かす。

「自分がジーコジャパンでデビューしたのは、2003年10月のチュニジア戦。手島和希さんが怪我して追加招集されました。その後も2005年のコンフェデレーションズカップや東アジア選手権などにも呼ばれましたけど、ほとんど追加招集。当時のDF陣にはツネさん(宮本恒靖)、(中澤)佑二さん、坪井(慶介)さん、マコさん(田中誠)がいて、彼らは"鉄板"だったんで、自分が入るとしたらDFを1枚増やす場合だけ。確率的にはかなり低いだろうと分かっていましたけど、Jでのアピールに賭けていたんです」
 
 しかし、メンバー発表当日、ジーコの口から茂庭の名前が呼ばれることはなかった。

「発表はちょうどFC東京の練習場に車で向かっていた時。リアルタイムでは聞けなくて、小平に着いたら、土肥(洋一)さんから『残念だったな』と言われ、落選を知りました。あとからメンバー23人を見た感想は『そりゃそうだろ』という感じ(笑)。巻(誠一郎)さんが『サプライズ』と言われましたけど、2006年は絶好調でしたし、対峙する相手として本当に嫌だった。短期決戦のワールドカップはコンディション重視ですから、その選択は僕としては納得でした」

 茂庭は予備登録メンバー入りしたが、日本サッカー協会からは「万が一を考えてコンディションを維持しておいてくれ」といった指示を受けることはなかったという。この時の反省を踏まえて、2010年以降はトレーニングパートナーを帯同させることになったのだが、2006年時点では危機管理が不足していたということになる。
 

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