【消えた逸材】「最悪のダメな奴」トッテナム移籍が叶わず歯車が…プレミアで14得点を挙げた元英代表FWの転落キャリア

2022年08月06日 ワールドサッカーダイジェスト編集部

嗅覚鋭い点取り屋として将来を嘱望された

WBAで大きく飛躍を遂げたベラヒノ。相思相愛だったトッテナムへの移籍が叶わず、そこから歯車が狂っていった。 (C)Getty Images

 生い立ちが壮絶だ。
 
 アフリカの小国ブルンジで生まれた。1993年のちょうどその頃に内戦が始まり、10歳で父親を亡くした。本人の記憶が曖昧で、それは11歳の時だったかもしれない。
 
 母親は兄弟姉妹を連れてすでに英国に亡命していた。難民となった少年はひとり、英国へと向かった。母はバーミンガムにいるはずだった。しかし、簡単には見つからない。少年は保護施設に収容された。やがて母親の所在が判明したが、すぐに親子とは認められなかった。認定にはDNA鑑定が必要だった。
 
 ようやく始まった新生活も苦労の連続だった。英語が話せず、なにもかもが故郷と異なる英国の暮らしに戸惑うばかり。救いを求めるように、サッカーに打ち込んだ。ブルンジのストリートで磨いた足技には自信があった。サッカーがあったから周囲に溶け込んでいけたと、後に語っている。 
 
 すぐにウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン(WBA)から声がかかり、アカデミーで英才教育を受けながら、伸びやかに才能を育んでいった。正確なコントロールで密集地帯を切り抜け、狡猾にスペースを突いてラストパスを引き出し、左右両足から強烈なシュートを放つ。嗅覚鋭い点取り屋として将来を嘱望された。
 
  レンタル先のノーサンプトン(当時4部)でのプロデビューは18歳、WBAに復帰してプレミアリーグにデビューしたのは20歳、2013-14シーズンだった。
 
 良くも悪くも決定的な転機となるのが、翌14-15シーズンだ。
 
 レギュラーに定着して序盤からゴールを連発すると、11月、ロイ・ホジソン監督率いるイングランド代表から初招集を受ける。出場機会はなく初キャップは刻めなかったが、U -16を皮切りに漏れなく名を連ねてきた年代別代表からA代表へとステップアップを果たした。最終的にこのシーズンはプレミアリーグで14ゴール、公式戦通算で20ゴールを挙げ、次代を担う若手ストライカーの筆頭へと躍り出たのである。
 
 こうなると熱を帯びるのがビッグクラブによる争奪戦だ。なかでも熱心だったのはトッテナムだった。二度、三度とオファーを送り、15年夏、移籍マーケットの最終日に2500万ポンド(当時のレートで約48億円)を提示する。チャンピオンズ・リーグの出場権を持つトッテナムへの移籍を、本人はもちろん望んだ。しかし、WBAは首を縦に振らなかった。大切な宝を簡単に手放すつもりはなかったのだ。
 

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