「日本代表・新レコード」の宮市亮。その心意気と感謝の気持ちに大きな拍手を

2022年07月20日 白鳥大知(ワールドサッカーダイジェスト)

奥寺康彦の3457日を上回る新レコードだった

約10年ぶりに日本代表でプレーした宮市。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部/JMPA代表撮影)

 サッカー選手のキャリアは紆余曲折が当たり前だ。とはいえ、宮市亮ほどドラマチックな選手は世界的に見ても珍しい。
 
 日本代表が香港代表を6−0で撃破した7月19日のE-1選手権第1戦で宮市は、64分から途中投入された。Aマッチ出場は2012年10月16日のブラジル代表戦以来で実に3563日(9年276日)ぶり。日本代表のブランク出場記録では、戦後だと奥寺康彦の3457日を上回る新レコードだった。
 
 小中学校時代から地元・名古屋では名の知れた存在で、中京大学附属中京高校では全国高校サッカー選手権で2年連続の優秀選手に選ばれるなど全国区に。当時から海外志向が強く、ドイツ、オランダ、イングランドのクラブで練習参加し、高校卒業前の時点で名門アーセナルと契約を結んで話題となった。労働ビザの問題でフェイエノールトにレンタル移籍すると、欧州主要リーグの日本人最年少デビュー記録(18歳1か月29日)&ゴール記録(18歳1か月29日)を達成した。
 
 爆発的なスピードを誇るドリブルに柔軟なフィニッシュワークが武器の左ウイングとして将来を嘱望された宮市は、「和製ティエリ・アンリ」、「和製クリスチアーノ・ロナウド」と謳われ、日本代表の新エースとして期待された。
 
 しかし、度重なる怪我でキャリアが停滞。アーセナルから貸し出されたボルトン、ウィガン、トゥベンテで国内リーグ無得点に終わり、15年6月にはアーセナルとの契約が満了。新たに契約を結んだドイツ2部のザンクトパウリでも、加入早々に左膝十字靭帯断裂の大怪我を負い、その2年後には今度は逆の右膝十字靭帯断裂に見舞われた。
 
 18―19シーズンからの2年間はまずまず継続的にプレーしたものの、21年7月に帰国を決断して横浜F・マリノスに加入。同年9月には28歳にしてJリーグ・デビューを飾った。今季は好調で、完全なレギュラーではないものの直近9試合で3ゴール・3アシストの活躍。森保一監督にもインパクトを残したようで、国内組で組まれたE-1選手権の日本代表メンバーに食い込み、約10年ぶりにA代表のピッチに立った。
 

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