元サッカー少年の挑戦「サッカーを諦めた心残りを消して、夢のある競輪で師匠を追い抜く!」

2022年07月22日

「いま振り返るとなんで辞めたんかなって思います」

西田優大(にしだ・ゆうだい)。滋賀県、比叡山高校サッカー部出身。24歳。身長:174.5センチ。写真:田中研治 

 高校3年の夏、インターハイでの敗戦を最後に小学校から続けてきたサッカーに区切りをつけた。

 選手権までやり切れなかった――。そんな後悔から自転車を始め、一度はプロチームに所属するも競輪への思いを強め、今年の春から養成所へ。

 懸命にいまを生きる24歳が思い描く、将来の夢。


――サッカー少年だったそうですね。

「小学校2年生のときに、大津市にある滋賀小学校で始めました。1つ上の仲の良かった先輩が先に始めていたので、2年生になったら僕もやると決めていたんです」

――なんていうチームですか?

「滋賀スポーツ少年団です。当時はFWをやっていましたが、みんなでワイワイ、とにかく楽しくボールを蹴っているようなチームでした。成績は、もう全然。県大会に出たことは一度もありません」

――中学校時代は?

「京都サンガとパートナーシップ契約を結んでいる、FC.SETA2002SHIGAというチームでやってました。京都U-15 SETA滋賀と呼ばれることもありましたね。県大会で優勝もしたので、チームは強かったと思います。僕自身は中学で一度ボランチをやって、その流れでサイドバックに。どんどん後ろに下がっていきました(笑)。クラブユースの関西大会で、ガンバ大阪にボコボコにされたのが最高成績です。3年生になって試合にも出ていましたが、そこまで上手い選手じゃなかった。当時のコーチが、僕を過大評価してくれていたんだと思います」

――高校はサッカー推薦ですか?

「はい。滋賀県は草津東や野洲、最近では近江が強くて、比叡山高校は昨年度のインターハイに初出場したくらい。県内2番手の選手が集まっているようなチームでした」

――3年間やり切った感じですか?

「いや……夏のインターハイ予選で負けて引退しました。僕たちが2年生のときに監督が代わって、なんか合わないなぁと思って、『インターハイが終わったら辞めようか』って何人かと話していたんです。夏に引退したときは『ようやく辞められた』と思ったんですが、いま振り返るとなんで辞めたんかなって思います。合わないからといって、最初から監督に反発するような心の持ち方は良くなかったな、と。いまなら分かるんですけどね」

――卒業後は関西大学へ進学されますが、大学で自転車部に入った理由は?

「やっぱり、高校のときに選手権までやり切った仲間がいたなか、途中で辞めた心残りがあったんですよね。部活に入ろう、大学から始めてもついていけるものってなったとき、自転車競技は大学から始める人が多いと聞いたんです。あと、ちょうど『弱虫ペダル』を読んでいたので、楽しそう、行くしかないって感じでした」
 

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