「そっとしておいてくれ」38歳で現役を引退したロビーニョ。 性的暴行で実刑となった“元天才ドリブラー”は、自宅で息を潜め…

2022年07月13日 沢田啓明

本人から「新しいペレ」のお墨付きを

天才ドリブラーとして鳴らしたロビーニョが、38歳で静かに引退を表明。 (C)Getty Images

「もうプレーすることはない。(引退表明の)記者会見もしない」、「僕と家族をそっとしておいてくれ。それだけが今の願いだ」
 
 7月4日、ブラジルの有力ニュース電子版『UOL』が粘り強い取材の末、直接のインタビューこそ叶わなかったものの、自筆のメッセージを掲載した。
 
 2020年8月以降、フットボール以外の理由によりピッチに立てずにいた"元天才ドリブラー"のロビーニョ(38歳)が、静かに引退を表明した。
 
 2000年代のブラジルにおいて、ロビーニョは同年代の頃のネイマールよりも大きな存在だった。そのキャリアの前半は、プロ選手を目指すすべてのブラジルの少年たちの夢をそっくりそのまま実現したものだった。
 
 サントス郊外で生まれ、6歳で地元のフットサルチームに入って技術を磨いた。かぼそい男の子が、魔法のようなドリブルで相手チームの全員を易々と抜き去っていく。地元では「天才少年現わる」と評判になり、大人たちがそのプレーを一目見ようと集まった。
 
 12歳でサントスのアカデミーに入団。ペレと背格好、プレースタイルが瓜二つだったこともあり、「ノーヴォ・ペレ」(新しいペレ)と呼ばれた。
 
 少年の噂を聞いたキング・ペレが練習場へやってきて、「これまで『ノーヴォ・ペレ』と呼ばれた少年は何人もいたが、この子は本物だ」と驚嘆。「特大のジョイア(宝石)だから、大事に育ててくれ」とクラブ関係者に伝えた。
 
 18歳でトップチームに昇格し、圧倒的なスピードと驚異的なテクニックで左サイドを蹂躙。超高速で繰り出すまたぎフェイントにマーカーは翻弄され、尻もちをつく。この光景にスタンドの観衆は歓喜し、小躍りして喜んだ。
 
 童顔で笑顔が愛らしいが、ピッチに立つと相手チームにとっては悪魔のような存在。「ペダラーダ、ロビーニョ」(またげ、ロビーニョ)が流行語になり、ブラジル中の路上や広場で少年たちがこう叫びながらペダラーダを繰り出した。
 
 03年にブラジル代表に初招集され、2年後の05年夏、移籍金2400万ユーロ(約33億6000万円)という当時としては破格の金額で「白い巨人」レアル・マドリーと5年契約を結ぶ。与えられた背番号は「10」。絵にかいたようなサクセス・ストーリーだった。「ここからさらにとてつもないキャリアを築く」と、誰もが予想した。

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