【W杯を手繰り寄せた男たち|松井大輔編】最後のテストマッチは控え組も、本番では大活躍。人生を賭けた南ア大会で重視したこと

2022年07月07日 元川悦子

グルノーブルに移籍してガムシャラにアピール

松井大輔(まつい・だいすけ)/1981年5月11日生まれ。Jクラブでは京都、磐田、横浜FC、海外ではフランス、ロシア、ブルガリア、ポーランド、ベトナムでプレーした経験豊富なテクニシャン。現在はYS横浜でサッカーとフットサルの“二刀流”で現役を続ける41歳。J1通算98試合・7得点、J2通算150試合・20得点、J3通算5試合・0得点、日本代表通算31試合・1得点(7月7日時点)。写真:元川悦子

 4年に一度の祭典、ワールドカップ。この大舞台に立つことを約束された者などいない。メンバー入りを巡る熾烈な争いで、本大会が近づくにつれて序列を覆したケースもある。日本が参戦した過去6大会で、W杯を手繰り寄せた男たちの知られざるストーリー。今回は、12年前の2012年南アフリカ・ワールドカップ(W杯)で際立つ活躍を見せた松井大輔(YS横浜)をクローズアップする。

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 7月19日に開幕するE-1選手権に向け、日本代表の新戦力になりえる面々に注目が集まっている。森保一監督も今季J1で実績を残している町野修斗(湘南)、満田誠(広島)、西村拓真(横浜)の3人の名前を挙げ、期待を寄せた。

 現実的に見れば、E-1から4か月後のカタールW杯への"滑り込み"はかなりハードルが高いかもしれない。が、チームは生き物。最後までどうなるか分からない。E-1組から急浮上してくる人間がいないとも限らないし、既存戦力の中でもごぼう抜きでレギュラーを勝ち取る選手が出ることも大いに考えられるのだ。

 現に、2012年の南アフリカ大会でも予期せぬ事態が起きている。当時の岡田武史監督が直前に戦い方をガラッと変えたことで、本田圭佑(無所属)、川島永嗣(ストラスブール)らが一気に序列を上げ、日本の二度目のベスト16入りの原動力となったのだ。

 松井もキーマンの1人だった。カメルーンとのグループステージ初戦で本田の決勝点をアシストするという大仕事はどのようにして生まれたのか。
 
 ジーコジャパン時代の03年に日本代表入りした松井だが、06年ドイツW杯は落選の憂き目に遭い、続くオシムジャパン時代も発足当初は呼ばれなかった。07年9月のオーストリア遠征でようやく代表復帰が叶ったと思いきや、指揮官が病に倒れてしまう。

 08年1月からスタートした第2次岡田体制でも出たり出なかったりが続き、日本が岡崎慎司(カルタヘナ)のゴールで南アへの切符を勝ち取った09年6月のウズベキスタン戦ではベンチ外の屈辱も味わった。

 それでも、松井は長年の悲願であるW杯出場を諦めなかった。09年夏にフランスの名門サンテティエンヌからグルノーブルへ移籍したのも出番を求めてのこと。ガムシャラにアピールを続けた結果、4年前に果たせなかった23人入りを手にしたのである。
 

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