【孤高のサムライ戦記|小林祐希】「今は江原でやり切る」韓国の地に爪痕を残し、次のチャンスを自ら切り開く

2022年06月26日 元川悦子

「心が動いたのはカタール。条件が破格に良かった」

今年から韓国のK1江原でプレー。チームは下位に沈むなか、1部残留のために全力を注ぐ覚悟だ。写真:本人提供

 日本を離れ、海外に活躍の場を求めて戦い抜く――己の信念を貫き、独自のキャリアを刻むサムライの生き様をディープに掘り下げる。韓国の江原FCで小林祐希は、助っ人外国人としての責任を強く感じながら、チームの残留のために悪戦苦闘の日々を送る。その先にある次のチャンスを見据えて――。

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 2022年カタール・ワールドカップ(W杯)まで半年を切った。この夢舞台を本気で目ざしていた男がいた。2019年の6月シリーズを最後に、日本代表から遠ざかっている小林祐希である。

「今の代表のメンツと所属クラブを見れば、自分にはムリだと思います。仕方ない。でも僕は現役を続けている限り、日本代表とワールドカップ出場を目ざしますよ」と本人は今も野心を燃やし続けている。

 当時、小林はオランダ1部のヘーレンフェーンで3シーズン目の戦いを終えたところだった。よりレベルの高い新天地を追い求めていたが、2019年夏に赴いたのはベルギー1部のワースラント・ベフェレン。戦術やコンセプトの明確なチームではあったが、ステップアップを目論んでいた本人にとっては不完全燃焼感を拭い切れなかったようだ。

「ベルギーで1年プレーした後、再び移籍を考えました。日本やアジアという選択肢もあったけど、心が動いたのはカタール。年俸等の条件が破格に良かったからです。

 日本だとそういう考えはピンとこないかもしれないけど、たくさんお金があってサッカーが楽しければ家族も幸せになれる。ブラジル人選手なんかはそう思って日本まで出稼ぎに来るんです。セレソンも稼ぎを優先するケースは少なくない。僕もお金を優先した。後悔はしていません」と小林はキッパリ言う。

 コロナ禍の2020年9月にカタール1部のアル・ホールに移籍した小林は、2年後のW杯に向けて急ピッチで開発の進むドーハのウエストベイに居住。45キロ離れたアル・ホールに通う生活を始めた。
 
 ドイツ人監督が指揮を執る同クラブはパス回し主体のスタイルを志向。小林も攻撃の軸に据えられ、やりがいを感じながらプレーできたという。

「監督にスタメンを相談されるほど信頼され、楽しくサッカーができたのは確かです。ただ、レベルは正直、あまり高くなかった。カタール人やサウジアラビア人のチームメイトはそこそこでしたけど、アジアからの移民選手もいた。彼らの大半は技術的にも体格的にも日本の高校生くらいのレベルでした。

 アジア・チャンピオンズリーグに出るようなチームとはかなり差がありました。未知なる環境で人間的には成長したかもしれないけど、自分は選手として飛躍したかった。それが叶わなかったのは悔しかったですね」

 そう苦笑する小林は、わずか1シーズンでチームを去った。
 

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