【連載】ミラン番記者の現地発・本田圭佑「バロテッリ復帰によるミラン、本田への影響とは?」

2015年09月02日 マルコ・パソット

指揮官との面談は人目を忍んでフィレンツェの駐車場で実施。

出戻り選手が活躍した例は長い歴史のなかでもあまり多くないミランで、クラブ史上“最悪”といわれる悪童は良い意味での歴史を創成できるか。 (C) Alberto LINGRIA

 可能な限り、目立たないように――。
 
 これが再加入において、ミランがマリオ・バロテッリに下した命令である。
 
 しかしそれには、かなり無理がある。例えば、彼のツイッターのフォロワー数は、なんと世界に366万人! ミランのそれ(280万人)よりもはるかに多い数だ。これで目立つなという方が難しい。
 
 それでもミランは、彼を可能な限り"普通"でいさせようと手を尽くしている。
 
 しかし多くのミラニスタは、彼の帰還を快く思ってはいない。バロテッリを獲得したことで、得るものより失うものの方が多いと、彼らの大多数は信じているのだ。
 
 だから、先日のエンポリ戦で、初めて彼らの前に姿を現わした"バロ"に対するサン・シーロの反応は、あまり熱狂的とは言えなかった。多くの拍手が送られたのは事実だが、それに混じって確かにブーイングも聞こえた。それもかなり……。
 
 とにかく、2013年1月に彼が初めてミランにやってきた時とは、かなり温度差がある。当時はチームもサポーターも、まるで大きな目標を達成したかのような雰囲気であり、アドリアーノ・ガッリアーニ副会長もこう言った。
 
「ついに我々は、夢を実現した!」
 
 そしてマリオはといえば、笑顔と闘志を胸に、マンチェスターからの到着したプライベートジェットから、颯爽と降りてきたものだ。
 
「アイムバック! 俺がナンバーワンだ」
 
 それが今回は、サポーターは喜ばない。マリオもまるで、忍び足でミラノにやって来た。リバプールからの定期便でイタリアに入り、まず実家のあるブレッシアへ。その後、車でミラノ入りした。ミランも2年半前のように、彼の到着を公にすることもなかった。
 
 最終的な契約に向けてのシニシャ・ミハイロビッチ監督との話し合いも、まるで人目を忍んで会う恋人のように、フィレンツェのとある駐車場で行なわれた。
 
 とにかく、何から何まで以前とは違うのだ。ミランは、バロテッリの入団会見さえ開かない。その意図は、はっきりしている。彼はここに仕事をしに、チームを助けるために、そして何より自分を助けるためにやって来た。それ以外に言うことはない。
 
 とにかくこれが、バロテッリが本物の選手になれるかどうかを決する、最後の、本当の"最終列車"だ。ミハイロビッチ、ガッリアーニ、そして何よりバロテッリ自身が一番承知しているはずである。
 
 マリオももう25歳、戸籍上はもう立派な大人だ。しかし、なかなか中身が年齢に追いつかないでいた。しかし、娘のピアが生まれ、育ての父親が亡くなったことで、彼にもやっと自覚というものが出てきたようだ。
 
 マンチェスター・シティのユースの選手をダーツの的にしたり、審判を殺してやると脅したりする、クレイジーで無責任なバロテッリはもういない。少なくとも、ミランはそう信じたいと思っている。
 
 リバプールは今回、レンタル料なし、給料もほぼ全額が自分持ちという、ミランにとっては理想的な条件でバロテッリを貸与した。そのことが、この1年間における彼と"レッズ"の関係がどのようなものだったのかを物語っている。リバプールはたとえ金銭的に不利になってでも、厄介払いをしたかったのだ。
 
 しかし、それはミランも同じだったのではないだろうか? ミランでプレーした1年半、バロテッリが大いに貢献したとは言い難い。最初の半年こそ素晴らしいプレーを見せたが、その後は下降線を辿る一方だった。そして彼がやっと出て行った時、ミランは安堵のため息をついたはずだ。

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