【連載】霊長類ヒト科サポーター図鑑vol.2「井上三郎」(川崎フロンターレサポーター)――太鼓での応援を通じて仲間が増える

2015年08月26日 宇都宮徹壱

「最初叩いた頃は手のひらが血だらけでした」

リードドラムを叩き、選手たちを応援する井上さん。99年にクラブとの出会いがあったという。写真:宇都宮徹壱

「自分はリズム感がいいほうではないです(笑)」
井上三郎(J1 川崎フロンターレサポーター)
 
 ゴール裏でリードドラムを叩いています。等々力に通うようになったのは、まだJ2だった99年でしたね。川崎市民というわけではなく、単に会社の寮が新丸子にあって、それまで特に応援しているチームがなかったので、なんとなくという感じでした。
 
 最初は2階席で見ていて、1階席で応援をするようになったのは、それから2~3年後くらいですかね。太鼓を叩き始めたのは、2002年の開幕から。『川崎華族』の代表の山崎(真)さんから「キミ、やって!」といきなり言われて(笑)。なんで自分だったか、今でも分からないです。割とホームもアウェーも行っていたからですかねえ。
 
 それまで太鼓なんて叩いたことなかったですから、最初の頃はすぐにマメがむけて手のひらが血だらけになりましたよ。腕の筋肉もパンパンになって、試合が終わったらダランと肩から下がっている感じ。
 
 それでも当時のリードの動きを必死で真似していましたね。試合よりも、リードを見ているほうが断然長かった。今は試合の7割くらい見えていますが、セカンド(ドラム)時代は全体の3割くらいでしたね。そのうち慣れてくると、リードの腕の振りを視野に入れながらゲーム内容を把握できるようになるんですけど、「止め」のサインを見逃したらいけないので、ずっと緊張でしたね。
 
 自分がリードを叩くことになったのは09年からです。それまでリードだった人が抜けて、僕しか叩ける人がいなくなってしまったんですよ。「いよいよ逃げられなくなったぞ」と思う一方で、これからは自分のカラーを出していけるのは少し嬉しかったです。

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