「真剣に遊ぶ」シニアのための“裏選手権”発起人・中村篤次郎が描く夢【日本サッカー・マイノリティリポート】

2022年05月10日 手嶋真彦

あえて表明。皆さんに、お会いしたくなかったと

大人が「真剣に遊ぶ」ことを大事にしている中村。ひとりの選手として、全国大会出場という目標も持ち続けている。写真提供:全国シニアサッカー大会実行委員会

 O-40のシニアサッカーの世界には「表」と「裏」の全国大会が存在する。数年前に"裏"選手権を構想し、仲間を巻き込んで実現させた大会の発起人は「真剣に遊ぶ」というコンセプトを掲げながら、大きな夢を温めている。

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 2020年の秋に産声を上げた、ある大会の開会式――。Jヴィレッジのピッチには40歳以上のシニアの選手がたくさん集まっている。大会の発起人•プロデユーサーとして挨拶する中村篤次郎(なかむら・あつお)は、大切な参加者である彼らにあえてこう言った。

「できれば、ここで皆さんに、お会いしたくありませんでした」

 同じ日、別の場所ではJFAが主催する「全日本O-40サッカ—大会」が開催されている。そちらに出場しているのは、全国の地域予選を勝ち抜いた16チー厶だ。一方、Jヴィレッジで中村の挨拶に耳を傾けているのは、JFAの主催大会は予選で姿を消した敗者たち……。

 JFAの大会を「表」とするなら、中村たちのこちらは「裏」だ。大会名にも「全国シニアサッカー"裏"選手権」とわざわざ「裏」を盛り込んだ。

 大会の発起人でプロデューサーの中村は、開会式で話をしながら少しだけホッとしていた。ああ、晴れて良かった。今朝のJヴィレッジは快晴で風もない。目の前には、日本の各地からこの大会のために福島まで駆け付けてくれた人たちがいる。

 よく来てくださった。ようやくここまで漕ぎ着けた。そんな感慨を覚えながら、中村はあえて表明したのだ。ここで皆さんに、お会いしたくなかったと。

 もう少し穏やかな表現のほうが適切だったのかもしれない。ただ、マイクを握りしめているうちに、自然とあのような言い方になっていた。もちろん本当は、お会いできてとても嬉しい。だけど、来年はここには来ずに、「表」の大会に出場してほしい。新たに立ち上げた大会の冒頭に、どうしても伝えておきたいメッセージのひとつがそれだった。



 中村が"裏選手権"を立ち上げたのは、悔しさからだ。子どもの頃は野球少年だった。中高でも野球を続け、甲子園を目指していた。サッカーを始めたのは大学からだ。ひょんなことから同級生に見込まれ、同好会に加わった。

 当時のポジションはGKだった。大学卒業後は就職した会社でサッカーチー厶を作り、泊まりがけの大会に参加したこともある。走り回るのが好きで、GKから徐々にフィールドプレーヤーへと変貌を遂げていく。
 
 シニアの全国大会を目指すようになったのは、40歳になり数年が過ぎた頃からだ。ボールを蹴った分だけ上手くなるのが実感できるようになり、それまでは遊び程度でやっていたサッカーにのめり込む。住まいのある東京都内のチー厶を掛け持ちし、それでも飽き足らず、その日限りの寄せ集めのチー厶でもプレーした。

 シニアサッカーの現場で親しくなったのが、林茂(はやし・しげる)というFWの選手だった。複数のチー厶を林も掛け持ちしていて、俺たちよく一緒になるよねと、向こうから話し掛けてきた。

 シニアの全国大会があると教えてくれたのが、中村より10歳ほど年上のその友人だ。聞けば林は、50歳を過ぎてから全国を初めて経験したと言う。JFAが主催する「全日本O-50サッカー大会」がそれだった。林が聞かせてくれる全国大会のキラキラした思い出は、中村の想像力を搔き立てた。

「アツ(中村)ならきっと、全国を目指せるよ」

 傑出した中村の運動量を知っているからなのか、林はそう言って駆り立てた。少年時代から全国大会とは無縁だった中村は、林に背中を押され、その気になる。

 親しくしていた別の友人から、一緒に全国を目指さないかと誘われたのが、同じ頃だ。遠距離ではあったが、誘ってくれた友人と同じ石川県金沢市の強豪チー厶に加わり、中村は2014年以降の3年間、北信越地域からJFA主催の全国大会出場に挑戦する。北陸新幹線が当初は開通していなかったので、羽田からの飛行機を利用して試合や練習に参加した。
 

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