知られざる岡崎の成長秘話 【ルーツ探訪】岡崎慎司――磨き抜いた“サムライ・スピリット”

2016年05月11日 広島由寛(サッカーダイジェストWeb編集部)

「これで十分や」と手にした中古品のラジカセ。

高校は滝川二高に進学し、選手権にも出場。3年時はキャプテンを務め、チームのために行動し、人間的にも大きな経験を積んだ。(C)SOCCER DIGEST

 高校入学を控えたある日、15歳の岡崎慎司は、1万円札3枚をその手に握りしめて電気店へと走った。ほどなく帰宅した息子を見て、母・富美代は不思議に思った。
 
「買わなかったの?」
 
 ふたつ上の兄・崇弘の高校入学時には、少し値の張るオーディオセットを買ってあげた。岡崎が進学する滝川二高のサッカー部は寮生活だ。兄と同じ高校に通うことが決まった弟のためにも、殺風景な部屋になにかあればと、お小遣いを渡した。
 
「なんか、高いからええわ」
 
 そっけなく答えた二男坊は、今度はリサイクルショップへと出かけた。「これで十分や」と手にした中古品のラジカセは、1万円ほどだった。
 
 それから2年後、岡崎が両親にあてた手紙にはこんな一節がある。
 
『今、高校で成長できて、キャプテンまでやっているのは、父さんと母さんのおかげだと心から思っています。ホンマありがとう。感謝しています。一番はお金かな、やっぱり。高校に入って怪我も多くなったし、用具とかお小遣いとか、お金の面で迷惑かけてるよなぁ~』
 
 昔から、すごく優しい子なんですよ、と富美代は言う。ケンカらしいケンカをすることはなく、反抗期も母親からすれば「言われてみれば、あれがそうだったかな」という程度のもの。激しい口調で歯向かってくることも、ほとんどなかったという。
 
 岡崎家の二男として、1986年4月16日に兵庫県宝塚市で誕生。体重が4160グラムと大きな赤ちゃんは、小学校に上がる頃にはダントツで列の一番後ろだった。
 
「保育所に通っていたんですけど、4月生まれだからほとんど1歳違いの子もいる。同じ学年なのに、大きな慎司が、ひと回り小さな子の手を引いているのがおかしくて」
 
 当時を振り返って頬を緩める富美代は、下の子にちょっかいを出されて困惑する我が子を思い出す。まだなにも分からない小さな女の子にバシバシ叩かれるが、大きな自分が抵抗すれば相手を泣かせてしまう。どう対処していいのか分からない幼少の岡崎は、メソメソするしかなかった。
 
 ハッキリと物事を言える兄とは違い、控え目な性格で、内に秘めてしまうタイプ。自分の気持ちを表現するのが苦手で、どこか遠慮してしまう。高校の進路を決める時も、「お金がまたかかるから、オレ、やめとこかー」と一歩引く素ぶりを見せたりもした。
 
「もしかしたら、『気にせんと行きや』と言わせるためだったのかも(笑)。でも、ホンマいろんなことに気を遣ってくれて。だからあの子がなにか欲しいって言う時は、よっぽどのことだと思うから、いいよって」
 
 息子の優しさを認める一方で、「FWなんやから、もっとガツガツ行かなアカンのちゃうか」と心配する富美代だが、少なくとも岡崎のサッカーに打ち込む姿勢は、ずっとまっすぐだった。年長の時に、兄と一緒にボールを蹴り始めるようになると、すぐ夢中になっていった。家の中でもドタバタとやり、マンションの住人に怒られることも。
 
 5年生の時に一戸建てに引っ越してからはさらにやりたい放題で、家の目の前が公園だったことも、岡崎を喜ばせた。

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