引退を告げる一本の電話と人知れない涙。中村憲剛×大久保嘉人【特別対談/前編】

2022年01月04日 本田健介(サッカーダイジェスト)

中村が盟友に伝えた言葉

川崎時代に抜群のコンビネーションを見せた大久保(写真左)と中村。ともに今度は新たなフィールドでの挑戦となる。(C)J.LEAGUE

 2021年11月19日の朝。中村憲剛の携帯に着信が入った。電話の主は大久保嘉人である。

 川崎時代からの盟友とは、普段はLINEで連絡を取り合うことが多い。電話がかかってくるのは珍しい。それもこの時期だ。中村には直感めいたものがあった。

「今年限りで引退する」

 中村は自分の予想が当たっていたこと、そして大久保の清々しいような報告に驚きはなかった。どんな場所でも全力を尽くし、批判されても己の信じた道を歩み続けてきた大久保嘉人という男の生き様を長い時間、見てきたからである。彼の想い、苦労を人一倍、理解している。だからこそ口をついたのは「おつかれさま」というシンプルな労いの言葉だった。

 その場で深い話をしたわけではない。1年早く現役を引退していた中村が大久保に少しのアドバイスを送ったのみで、電話は切られた。互いの胸の内は分かっている。ふたりらしいやり取りであった。

 それでも11月27日、C大阪のホーム最終戦で行なわれた大久保の引退セレモニーを画面越しに見ていた中村は熱い想いを止められずにいた。人知れずに流した涙。川崎時代には抜群のコンビネーションを誇り、その後も固い絆で結ばれたふたりだからこそ、今語れることがあるはずだ。大久保嘉人の引退から数日が経ったタイミングで実現した特別対談をお届けしよう。

――◆――◆――

――今回はリモートとなりますが貴重な機会をありがとうございます。年齢ではふたつ上の憲剛さんは2020年シーズン限りで引退。そして2021年シーズン限りでの引退を決めた嘉人さんは、発表の数日前に電話で憲剛さんに報告をしたそうですね。

大久保 そうです、憲剛さんにはしっかり伝えなくちゃと。

中村 僕は着信を見て、滅多に電話はかかってこないから、なんとなく分かっていました。だから「おつかれさま」という言葉が自然と出てきましたね。「まだやれるよ」というフレーズは出てこなかったんです。十分にやり切ったと分かっていたから。それに去年、僕が引退を嘉人に伝えた時に、嘉人も辞める気でいた。でも「ここでは終われないでしょ。まだ辞めちゃダメだよ」という話をして、セレッソで1年(2021年に東京Vから高卒でプロ生活をスタートさせたC大阪へ移籍)、本当に頑張ったと思う。その姿を見ていたので、「うん、もう、よくやったよ」と、そういう気持ちでした。

大久保 いや本当……、よくやりましたよね(笑)。辞めてから、その気持ちはより強くなりました(笑)。

中村 そうだよね(笑)。だから今はスッキリしている?

大久保 もうスッキリ(笑)。

中村 でも引退した実感はまだないでしょ?

大久保 いや、その通りで(笑)。もう少ししたら感じるのかな……。

中村 年が明けて、周りの選手が動き出したら感じるかもね。でもそこまでには自分も整理はついているはず。意外と寂しくないというのが、実体験かな。引退してすぐはいつものシーズンオフに入る感覚だけど、これからは始まりを気にしなくて良いからね。今はそんな感じなんじゃないかな。ただ2021年に向けて嘉人は初めてトレーナーの方についてもらって例年以上に身体を仕上げていたでしょ。オフの間に「こんなに上げたことはなかった」と話していたしね。その時点で覚悟を決めていたのかなと感じていたよ。あとは橙利くん(大久保の三男)を連れていったこともね(編集部・注/C大阪移籍に際して大久保は当初、単身赴任を決めていたが、4兄弟の三男、橙利君の希望もあって大阪でふたり暮らしをすることに)。先日、書籍(『俺は主夫。職業、現役Jリーガー』)も出版したしね(笑)。

大久保 いやー本当、最後の1年は濃かった。もう色々あって。でもその1年があったからこそ引退を決意できたっていうのもあって。
――引退を決めたのは昨年の11月に入ってからだとか。

大久保 そうです、決めたのは11月16日。丁度、その4日後にはフロンターレ戦が迫っていたので、そのタイミングで発表をしたくて。それで報告させてもらったという形でした。一度、発表をすれば、もうあとはやり切るだけだったので。

中村 分かるわ、発表したら、もう後に引けないからね(笑)。

――引退を発表するには迷いはなかったですか?

大久保 もう"スパン!!"という感じでしたね。そこは早かったです。

中村 ただ、そこに関しては辿り着くまでに数年、悩んでいたと思う。決めたのはその数日だろうけど、何年もかけて行き着いた答えなんだろうなとは僕は感じていて。

大久保 その通りで、ここ数年は「もう辞めよう」「いや、やっぱりやろう」という繰り返しで。波があったのが正直な心情で、それで行き着いた答だからこそ、今回はスパンと決断できたという感覚かな。

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