降格ジンクスのデスゴール…「あまりいい気分ではなかった」本当の理由とは? J功労選手賞・前田遼一氏の“幸せだった”現役時代

2021年12月13日 長沼敏行(サッカーダイジェストWeb編集部)

影響を受けたのはやはり中山さんと高原さん。黄金期のジュビロの様子は…

Jリーグ功労選手賞を受賞した前田遼一氏。6日のJリーグアウォーズで表彰された。(C) DAZN

 Jリーグの年間表彰式である「Jリーグアウォーズ」が12月6日、都内で開催され、10月の理事会で決まっていた功労選手賞の7人も会場で表彰された。

 その中には昨季限りで現役を引退し、今季からジュビロ磐田U-18でコーチを務める前田遼一氏の姿もあった。現役時代は、J1歴代5位の通算154得点をマーク。二度の得点王と二度のベストイレブンを獲得するなど、長きにわたって磐田のエースとして君臨し、日本代表でもアジアカップ優勝に貢献するなど華々しい活躍を見せた。

 そして今回、指導者として再出発し1年が経過した前田氏にインタビューを実施。自身の現役当時について振り返っていただいた。

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――Jリーグの歴史に偉大な足跡を残したことが認められての受賞。いま現役当時を振り返ると?

 今回、「功労選手賞」という大変名誉な賞をいただけて、すごく光栄です。現役当時を振り返ると、嬉しいことや辛いことなどいろいろありましたけど、やっぱりサッカー選手としてピッチに立っている時、現役でサッカーをやっている時が一番"幸せだった"と、すごく感じますね。

――黄金期のジュビロ磐田に入団したことは、サッカー人生での大きな転機になったと思います。

 154点という記録を達成できたのも、間違いなくジュビロに入って中山(雅史)さん、高原(直泰)さんを見て、いろんなことを学べたから。今振り返ると、入団当時(2000年)の頃のジュビロは、お互いが要求し合い、すごく厳しい時と、逆に試合や練習が終わってリラックスした時、そのメリハリがすごくあるチームでした。

――やはり日本を代表するストライカーたちの存在は大きかったでしょうか?

 日本代表で偉大な実績を挙げられていた中山さん、タカ(高原)さんから受けた影響は大きかったです。ジュビロでの若手の頃は、タカさんと試合の前泊で同じ部屋になることもあったので、前日の過ごし方などは、その後の現役生活ですごく影響された部分です。全然特別なことをするわけではなく、お風呂に入って寝るだけなんですが、ただ僕にはそれが次の日の試合に100%のものを出すための入念な準備をしているように見えて、「この人は明日きっと点を獲るんだろうな」という雰囲気を感じていましたね。

 僕は高校までは中盤でプレーすることが多かったので、本当にFWとして成長できたのはジュビロでプレーさせてもらったから。やはり僕にとってストライカーとしての原点の場所とも言えるでしょうね。
 

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