「浦和レッズを変える」と宣言した槙野智章の10年… クラブ、サポーター、SNSと向き合う原動力となったのは何か?

2021年11月19日 佐藤亮太

不安のシーズンが始まろうとした2012年、加入した槙野が実行したのは…

10年にわたり在籍した槙野が今季限りで退団。会見では、涙ながらにクラブへの想いを語った。(C) SOCCER DIGEST

 今月16日、浦和レッズDF槙野智章の今季限りでの退団がクラブから発表された。

 2012年からの10年間、槙野はリーグ312試合出場(11月8日時点)。2度のステージ優勝。天皇杯優勝。そして「特別なものがあった」と語った2017年ACL優勝など、チームメイト・スタッフ、ファン・サポーターとともにタイトルを手にした。

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「濃い10年だった」と振り返る槙野は、様々なものと戦った10年だったと言える。

 前年の2011年、急激な若手起用に舵を切った浦和は残留争い。自信を完全に失った。翌12年、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督が就任したものの、難解な戦術が浸透するか? 不安のシーズンが始まろうとしていた。この沈滞ムードを払拭すべく、槙野は「浦和レッズを変える」と宣言した。

 しかし、『何ができるんだ』と反応は冷たかった。それでも、負けなかった。まずはみんながひとつになれるようにホームゲームで勝利後、クラブを象徴する歌『We Are Diamonds』を歌うことを提案。ここから槙野改革がスタートした。

 そしてポジション争い。対戦相手。時にファン・サポーターとも戦った。

 浦和では応援歌=チャントは多少の活躍では生まれない。ましてや槙野は新参者。ただ、チャントができれば、浦和の選手とした認められた証拠。そのなか槙野は持ち前のプレーと変わらぬ姿勢でチャントを勝ち取った。

 SNSを通じた世間というものとも戦った。ただでさえ目立つ存在。毀誉褒貶があるなか、本意でないことが伝わることもあった。以前、「フォロワーの多さが仇になるのでは?」と聞いたことがある。すると「そうは思わない」と断言したのを覚えている。

 現在、ツイッターのフォロワー数、約72万。発信力に伴う世間への影響力は槙野にとって自身を律するべく、プレッシャーをかけ続けたと言える。

 そして自分自身と。信条である100%を怠らないのはもちろんのこと、効率よく且つケガなく戦うため、専門家に走り方を教わり、チームメイトにも伝えた。そして「Jリーグで3本の指に入る」と豪語する居残りシュート練習。ある時はケガを抱えながら、戦い続けたこともあった。日ごろの鍛錬の証はあの引き締まった両太ももにこもっている。

 クラブ、チーム、対戦相手、世間、そして自分自身。この戦う原動力はいったい何か?
 

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