阿部勇樹がプロ24年目で引退を決断した理由「1年前の想いと今現在の想いでは…」

2021年11月15日 多田哲平(サッカーダイジェスト)

「“その差”が僕にとっては引退する合図なのかなと」

阿部が現役引退を発表したのは11月14日。2007年のACL優勝からちょうど14年目の日だった。写真:田中研治

 浦和レッズの阿部勇樹が11月14日、2021年シーズン限りでの現役引退を発表。さいたま市内にて会見を行なった。

 会見が始まり、拍手で迎え入れられた阿部勇樹は、緊張した面持ちで口を開いた。

「私、阿部勇樹は2021シーズンをもちまして、プロサッカー選手を引退する決意をしました。長きにわたり応援してくださったファン・サポーターのみなさま、パートナー企業のみなさま、日本サッカー協会、Jリーグ、ジェフ千葉、レスター・シティ、浦和レッズの関係者のみなさま、ありがとうございました。本当に幸せなサッカー人生でした。ありがとうございます」

 今季開幕前には「長くやってくると、野心がなくなったりもする。でも、それじゃダメだなと。自分のなかで何かを成し遂げたい。チームとしても個人としても。そういう野望を持って1年間過ごしたいなと思います」と力強く宣言していた。しかし、その一方で、キャリアの終わりもどこかで意識していたのだろう。
 
「今年始まった時点である程度自分の年齢も考えて、勝負の年、最後の年になるのではないかと考えていました。でも本来なら、もっと早く引退すべきだったのかなと振り返ったら思います。けれど、サッカーを通じていろんな方と出会い、いろんな仲間に支えられて、選手寿命を延ばさせていただいた。

 自分が40歳の誕生日(9月6日)を迎える前までにはある程度決めて、クラブにはお伝えしたいなという想いがあったので、9月の頭にはクラブに伝えさせてもらいました。もちろん今でもサッカーをしたい想いはありますが、1年前の想いと今現在の想いでは、少し変化といいますか差があるかなと自分では思っていて、その差が僕にとっては引退する合図なのかなと考えて決断させていただきました」

 ジェフユナイテッド市原(現・千葉)で当時最年少記録となる16歳333日でJ1デビューを果たすと、2007年に浦和、そして2010年に当時イングランド2部のレスターへと移籍し、2012年からは再び浦和でプレー。実に濃密な24年の現役生活を歩んできた。
 

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