【浦和】「シーズン最後に全員でアウォーズに行く」キャプテン阿部勇樹が示す新たな歴史を築く決意

2015年06月21日 寺野典子

「築いたものが自分が辞めた後もレッズに根付けばいい」

主将として開幕前の苦しい時期もチームを力強く牽引した阿部。第1ステージ制覇は「通過点」と語る。写真:小倉直樹(サッカーダイジェスト写真部)

「レッズが僕を必要としてくれていることを強く感じられたし、レッズでやるべきことがあるとも思った。レッズで新しい挑戦をしようと決断しました」
 
 2012年1月、東京・渋谷で会った阿部勇樹は、イングランド・チャンピオンシップ(当時)のレスター・シティから浦和レッズへ復帰する決意について淡々と語った。
 
 前年、残留争いを経験するほど低迷していた浦和は、ペトロヴィッチ新監督の招へいとともに、阿部の復帰にチーム再建を託したのだ。
 
 阿部が浦和のシャツを着たのは2007年。リーグ王者に輝いたクラブの大型補強として騒がれた当時に比べると、ひっそりとしたニュースに思えたが、阿部自身には古巣復帰というような温もりや安心感はなかった。
 
「『自分がやらなくちゃいけない、変えなくちゃいけない』という強い使命感がある。アジア王者になった2007年のレッズには戻れない。新しいレッズを作ることが重要だと思う。そのために自分が嫌われ役になってもいい。なにかを成し遂げて、みんなで喜ぶためには、なりふり構っていられない。あと何年サッカーができるか分からないけど、やれることをすべて出し切っていきたい。
 何もかもがそう簡単に上手くいくわけじゃないと思うけれど、そういうなかで、どれだけ耐えて、ブレずにやれるか? 選手もそうだし、クラブもそう。そうやって築いたものが、自分が辞めた後もレッズに根付けばいい」
 
 阿部の覚悟を察したかのように、ペトロヴィッチ監督は彼をキャプテンに指名。阿部を主軸に置き、チーム改革へ乗り出した。次々と新加入選手が赤いシャツを身にまとい、若手も台頭するなかで、チームメイトの顔ぶれも大きく変わっていく。しかし、好成績を残しながらも、タイトルとは無縁の日々が続いた。

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