「寡黙さ」は名将の一つの形。“しゃべり過ぎる”監督は信用を失う【小宮良之の日本サッカー兵法書】

2021年09月01日 小宮良之

グアルディオラやモウリーニョは多弁だが…

寡黙な人物として知られるポステコグルー監督。現在はセルティックを率いている。(C)Getty Images

 横浜F・マリノスをJリーグ王者に導いたアンジェ・ポステコグルー監督(現在はスコットランドのセルティックを指揮)は、寡黙な人物だという。トレーニング中もコーチがセッションを担当し、監督自身はほとんど話をしない。ボスの威厳だけ放って、集団を統率できる。

<寡黙さ>

 それは一つの名将の形だろう。
 
 監督の言葉が持つ意味は、選手にとって大きい。何気なく発した指示を選手は明確に覚えているもので、その矛盾に気づいてしまうと、厄介なことになる。それが二度、三度と続いた場合、信用が疑念に成り代わる。やがて、信頼関係の破綻だ。

 それ故、監督は一つひとつの言葉に責任を持たざるを得ない。例えば、「このやり方で必ず勝てる」と宣言した場合、たとえそれが発奮させる意図の発言であっても、博打的である。勝てたら信頼関係は高まるが、負けたら逆さまになる。

「監督は余計なことを一切話さない方がいい」
 
 それがリアルな選手の気持ちだという。才人ぶってぺらぺらと喋るような指揮官は信用を失うもので、「テレビ解説が監督としての勉強になる」と言うのが嘘なのはここに理由がある。喋ることを我慢できることの方がよほど大事なことなのだ。
 
 FCバルセロナで伝説的なチームを作ったフランク・ライカールトも、口数は少ない監督だった。話すよりも、煙草の煙をくゆらせた。実際の戦術に関しては、すべてコーチに説明をさせた。トレーニングセッションも、コーチが選手のケツを叩いているところに鷹揚な感じで現われ、一言二言、ボスとしての言葉を投げかける。それだけで、選手たちの気持ちをひとつに束ねた。

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 監督は「大きな風呂敷、でかい器のようなものだ」と言われる。選手だけでなく、コーチングスタッフも包み込み、引き入れられる度量があるか。それぞれが円滑に仕事をできるようにし、組織を回す。その土台は、理屈や論理ではない。むしろそれで割り切れない心情や気力で、集団に力を放たせる。ロシア・ワールドカップで日本をベスト16に導いた西野朗監督は、まさにこのタイプだ。

 ジョゼップ・グアルディオラ、ジョゼ・モウリーニョなど多弁な監督も、名将である。しかし、彼らは本物の天才であって、凡人が見えないものが見えている。正鵠を射たアドバイス、予測、予言に似た言葉を届けられることで、選手の心をつかめるわけだが、彼らのように振る舞うことは、ほとんどの監督にとって不可能だし、リスクを伴う。

 もちろん、正解は一つではない。寡黙であるべき。そうマニュアル化されると、物事は違った方向に行くだろう。

 しかし指揮官が喋り過ぎることは、常にリスクがあることだと承知するべきだ。 

文●小宮良之

【著者プロフィール】
こみや・よしゆき/1972年、横浜市生まれ。大学在学中にスペインのサラマンカ大に留学。2001年にバルセロナへ渡りジャーナリストに。選手のみならず、サッカーに全てを注ぐ男の生き様を数多く描写する。『選ばれし者への挑戦状 誇り高きフットボール奇論』、『FUTBOL TEATRO ラ・リーガ劇場』(いずれも東邦出版)など多数の書籍を出版。2018年3月に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューを果たし、2020年12月には新作『氷上のフェニックス』が上梓された。

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