【三浦泰年の情熱地泰】大きな勝利を掴むには…普通の事をちゃんとやる「凡事徹底」あるのみだ!

2021年09月01日 サッカーダイジェストWeb編集部

子どもが「アイツは守備は堅いけど攻撃がな~」と不服を唱える時代がすでに来ている?

アーセナルへの移籍が決まった冨安も守備面だけでなく、攻撃の起点となるフィードや足技にも長けている。DFに求められる“普通”も変わりつつある。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)

 試合に負けた時、「よく頑張った!」と言える人間と、「頑張りが足りない」や「頑張り方が間違っている」と、叱咤したり鼓舞できる人間では、どちらが良い人間でどちらが世の中に必要なのであろうか?
 
 もちろん答えは簡単だ。両者、両方とも必要な人間だ!となるであろう。

 それは誰に聞いてもこの答えになるような気がする。ただ、世間ではよく頑張ったと言った人を良い人だと思い、厳しいことを言った人を嫌悪する風潮がある気がする。

 これが現実ならば、頑張りが足りない人にも頑張ったと伝える人間ばかりが増える。そして、その人を見殺しにし、崩れ落ちていく姿を平気で見ていくことになる。指導者はそれで良いのか? そして、頑張りが足りずに結果を出せない人はどうなるのであろうか?

 弱っちい世の中、人間の集まりになってしまいそうだ……。

 サッカーでも面白い表現がある。

 フォワードが守備をしないと周りから怒られる。だが、センターバックが攻撃をしなくても怒られない。

 ある子どもが「アイツは上手いけど、守備しないんだよー!」と不服そうに言った。言われた彼も「アイツ守備は上手いけど攻撃できないんだよー」って言ってるかもね……。このやりとりが分かる子どもは今の指導ではいないであろう。

 ゴールキーパーがフィードの能力を求められる時代になったが、フィードが出来ても打たれたシュートが全部入ってしまえばゴールキーパーの意味がない。

 センターフォワードが献身的な守備を90分間するが、得点は取れない。肝心なチャンスで外す。これではストライカーとは呼べない。

 センターバックが素晴らしいフィードはするが、全部抜かれてしまう。高いボールでひとつも競り勝てなければ、ディフェンダーである意味がない。

 しかし何故かセンターフォワードが守備をサボる、守備をしないことには否定的であるが、センターバックが攻撃の基点になれなくても、攻撃的センスがなくても、あまり文句を言う人はいない。しっかり守っていれば、だ……。

 しかしこれからのサッカーは違う。いや、もう違ってきている。

 良い攻撃のリズムとテンポは守備ラインからのスタート。彼らのボールを置く位置。彼らが選ぶフィードの精度からスタートされる。

 きっともうすぐ、子どもたちも「アイツは守備は堅いけど攻撃がな~」と不服を唱える時代がこれから来るのではなく、すでに来ているのかもしれない。

 そうやってより高見を目指す環境には妥協を許す環境ではいけない。現状維持で良いと決めてしまう向上心のなさが進歩、進化をストップさせる。

 より高い所を目指す世の中に、サッカー界にしていくためにも、人として成長しなければいけない。
 

次ページ「普通の事をちゃんとやる」ということなしに非凡な成果は掴めない

みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事